黒き魔物にくちづけを
「ラザレス、ラザレス……!!」
彼女は繰り返し、彼の名前を呼ぶ。そうする度に彼はびくりと震えて呻いた。その様子はどう見たって苦しげで、けれどエレノアはたとえ苦しめていようとも声をかけることをやめはしなかった。だって、反応があるということはきっとまだ望みがあるということだから。
「ぅア……!」
耐えられないというように、男がエレノアの手を振り払う。そのまま床に手をつくと、苦痛から逃れるように身体を丸くした。身体が浮いたその一瞬の隙をエレノアは見逃さない。素早く身体の下から這い出て、正面から彼に向き合った。
「ラザレス!私よ、エレノアよ。ラザレス、お願い、戻ってきて」
『エレノア』という名前に彼がびくりと身体を揺らす。そして、その目がぎょろりと彼女をとらえた。そこには確かに、怯えたような光があって。
「……ッァア!」
至近距離で吠えられる。剥き出しの獣性に、けれどエレノアはひるまなかった。
「ラザレス」
もう一度、名前を呼ぶ。また彼はびくりと体を震わせた。そして彼がもう一度吠えるより早く──エレノアは片腕で彼の身体を抱きしめ、素早くその唇を塞いだ。
「ゥ……!」
重ねた唇の狭間から、魔物の獣じみた呻きが洩れる。けれどエレノアは怯むことなく、むしろこれ幸いとばかりに隙間から自分の舌を捩じ込んだ。
彼の口内は、鉄の味で満たされていた。きっとこの血の味が、この人を狂わせているに違いなかった。エレノア彼の舌を、自分のそれで上書きできるように重ね、絡めた。
彼の身体が強張っていることもわかった。それでもエレノアは、全てを受け止めるように唇を合わせ続けた。