黒き魔物にくちづけを
「かしら、イツモみたいにたたかってタ。でも、きずタクサンつくって、おかしくなった」
「おかしく、なった……」
思い出すのは、先程までの魔物そのものといった様子のラザレスの姿だった。大勢の人間を前にして、彼らの恐れを直にぶつけられて、その状態で傷をたくさん負って──きっと、そんなことが原因だったのだろう。
「かしら、あばれて、ニンゲン、にげた。かしら、ニンゲン、コロソウとして、さけんで、にげた」
ビルドの辿々しい説明では伝わりにくいが、彼女にはどういうことか想像がついた。きっとラザレスは、いつかのように戦っているうちにおかしくなったのだろう。逃げ始めた人間を追いかけて殺そうとするほど……。けれど、僅かに残った理性がこれ以上の自らの暴走を拒み、叫んでその場から逃げ出した。
(……そう言えば、待っている時に叫び声が聞こえたわ。あれが、それだったのかしら)
聞こえてきた苦しげな叫び声を思い出す。それにしても、離れた屋敷にいるエレノアがそれを聞いたことは奇妙だが……それほど、大きな叫び声だったのだろうか。
「かしら、いなくなったから、のこりのニンゲン、ビルドたちでやっつけた。だから、おそくなった。ゴメンネ、えれぬー」
ビルドは申し訳なさそうに頭を下げる。それは仕方の無いことだろう。ラザレスがいなくなったからと言って、戦いはまだ終わっていない。残りの人間を放るわけにはいかなかっただろうから。
「大丈夫よ。なんともなかった……わけでもないけど、無事だもの」
「でもソレ、かしらがやったんでショ?」
ビルドは翼で彼女の頬を示す。そこには確かにラザレスにつけられた大きな切り傷が残っていた。他にも、押さえつけられた手首は痣になっているし、何かがあったことは明白な出で立ちだった。