黒き魔物にくちづけを
「解毒剤はあるの?」

震える声をなんとか叱咤しながら尋ねると、分かりやすく男の表情が歪む。その反応に彼女が瞠目すると、それより早く彼は口を開いた。

「有ることには……有る」

歯切れの悪い物言いだ。しかもその表情は、決して良い状況を連想させるものでは無い。どういう意味、と自分の口から零れた言葉は少し掠れていた。

「動物性の──特に蛇の毒に作用する薬ならあるんだ。小さいが近種の蛇に噛まれた際に服用して助かったケースもあるから、理論的には効くと考えていい。ただ、この矢尻に塗られていたであろう大毒蛇の毒に効いたという前例がない」

重々しい彼の声が、狭い薬屋にしんと響く。セレステのものだろうか、はっと息を呑む音を、エレノアはどこか遠くで聞いていた。あるいはそれは、自分が発したものだったのかもしれないが。

「使ったという前例すら無いんだ。正確には、その毒を受けた者に、薬を投与できた試しがない、と言う方が正しいのだけど」

投与できた試しが無い、その妙な言い回しに、エレノアはぴんときてしまった。

「……つまり、死ぬ前に投与が間に合った試しが無い、ということ?」

そう問いかける自分の声は、彼女が思っていたよりも幾分静かに発せられた。もっと震えているかと思っていたのに。

目の前の研究者は、目を伏せて頷く。

「その通り。君はとても頭の回転が早いね。……この猛毒を食らった者のほとんどが、なす術なく即死しているんだ。恐らくあの魔物殿がそうはならないのはひとえに彼の身体が頑丈だからだ。申し訳ないのだけど、前例がない以上、この薬が効くかどうかの保証をすることは出来ない」

「……」

エレノアは唇を噛み締めた。瞼の裏に、先ほどのラザレスの苦悶の表情が浮かぶ。それほどの猛毒を食らったのだということは、彼の様子を思い出せば疑う余地も無かった。
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