黒き魔物にくちづけを
「……最悪」
思わず悪態をついて、それからごろりと仰向けになった。
エレノアの内心とは裏腹に、そこには雲一つない快晴が広がっていた。彼女の頭の上を、青空を割くように黒い鳥が飛んでいく。あれは──カラスか。町では不吉な鳥と忌み嫌われてカラスよけがされていたから、あまり姿を見ることはなかった。
力強い翼が、空気をぐんと押し出しして進んでいく。そのさまは不吉とは似ても似つかないと、彼女は思った。ほう、と息がもれる。
「……、行こう」
自分に向けて、そう呟く。そもそも彼女が生贄になったのは、魔物に会うためだ。こんなところで挫けていて、どうする。
よっ、と勢いをつけて、彼女は上体を起こす。それから、装束の長い裾が地面にこすれることもを構わずに膝をつけ、ゆっくりと立ち上がった。両腕の自由が無くても案外なんとかなるものだ、なんて思いながら。
さて、これからどうしよう。きょろきょろと辺りを見渡しながら、彼女は考える。
というかそもそも、せっかく供物として捧げられたのだから、向こうから回収にきたって良いのではないのではないのだろうか?
けれどその考えを否定するかのように、辺りにそんな影はなかった。エレノアの他の供物たちも、落ちた時のまま散らばっている。
「……それなら、こっちから行くしかない、わよね」
呟きながら、彼女は一歩踏み出した。当然ながら魔物の居場所が書かれた地図なんて持っていないけれど、とりあえず奥に行けばいいだろうと考えたのだ。
迎えだなんて、そんな受け身でどうする。何かを成し遂げたければ自分が動かなければ、状況は何も変わらない。彼女はこれまでも、そうやって生きてきたのだ。
(そうよ。乗り込んでやればいいんだわ。魔物を驚かせてやろうじゃないの)
ふふん、と笑みすら浮かべて、彼女は足を進める。ここは不吉な黒の森で、彼女の瞳はやはり黒く染まっているのだけれど、その不吉さなんて感じさせないものだった。
こうして、生贄の少女は魔物の居場所へ向けて、長い道のりを踏み出した。