黒き魔物にくちづけを
──の、だけれど。
「どこよ……魔物……」
どれほどかの時の後、そこには呪詛のように低い声で唸りながら足を進める彼女の姿があった。
それもそのはずである。彼女が目を覚まして出発したのは夜が明けて太陽が顔を出した頃。それから歩き続けて、今はもう日が昇りきろうという時間なのだから。
しかも、両腕の自由が無いというのは存外不便で、何に困るかと言うとバランスがとりづらくなるのだ。小さい石につんのめる、服の裾を踏むなど、普段だったらすぐに立て直せるようなことで、これまでにもう何度か、転倒していた。
「せっかく生贄の方から来てやってんだから、ちょっとくらい、顔出しなさいよ……!」
決して魔物には届いていないであろう文句を吐き出す姿は、彼女自身が魔物か何かのようですらある。結んでいた髪は乱れ、もとは神々しかった白い装束はところどころ破れ、顔は土で汚れ。そんな身なりの女が両腕の自由を奪われ、目だけぎらぎらと輝かせて歩いているのだから。
森の奥を睨みつけて、足を踏み出すエレノア。と、不意に、その足元に黒い影がさした。
「──?」
木々がつくりだすそれらとは明らかに質感の違う影に、彼女は足を止める。広がる黒は、まるで彼女の頭上に何かがいるかのようで。
いや──実際に、【何か】いるのだ。
バサリ、と、近いところで音がする。ひらり、目の前を何かが──黒い羽根が、落ちた。
つられるように、エレノアは顔を上げる。
「え……」
その視線の先にいたものに、彼女は思わず声をあげた。
それは、鳥だった。
彼女の身長よりも大きな──黒い、鳥。
鳥は、まっすぐにこちらを見下ろしていた。金色の目が、ぎろりと彼女を捉える。そして次の瞬間には、バサリと羽ばたいて彼女の目の前に降り立ったのだ。