黒き魔物にくちづけを
「はっ……!?いや、それは……」
カラスの声を聞いた魔物はぎょっとしたように声をあげると、気まずそうにエレノアを見やる。当の彼女はというと、冷静に考えを巡らせていた。
「嫁……そうよね、客人として招かれるよりは、そっちの方が生贄らしいかしら。魔物の嫁って、具体的に何をすればいいのかしら?普通の家事なら一通り出来るのだけど」
「いやその前に、お、お前は」
見上げてそんなことを尋ねる彼女に、魔物の方がうろたえたように言う。彼女は一瞬怪訝そうな顔をして、それからこともなげに笑い飛ばした。
「ああ!そういうことね。大丈夫よ、もちろん残してきた夫も恋人もいないからその心配は無用だわ。ちなみに処女よ」
「しょ……その心配はしていない!」
魔物は大きな声をあげる。心なしか、その頬にはうっすら赤みがさしていた。
「そうじゃなくて……俺は、魔物だ」
咳払いをして、魔物は低い声でそう言う。何が言いたいのか、ようやくエレノアはわかった。つまり、魔物の嫁になることを簡単に了承して良いのかと、確認されているのだ。
「知っているわ。さっき見たもの。……どうしてあなたが尻込みしているの?自分で私を連れ帰ると言ったんじゃない。気が変わって食べるつもりでも無いのでしょう?言っておくけど、怯んで町に戻るなんて私は言わないわよ」
「……だが、お前は、嫁で良いのか?別に生贄だからと言って、何かにならなければならないというわけでは……」
エレノアが冷静にそう言い返すと、魔物はまだ納得がいかないというように質問を返してくる。
「当たり前じゃない。そんなところでごねたりしないわ。それに、ただいるだけじゃまた気が変わったあなたに追い出されかねないもの。嫁だとかいう名目があった方が私も安心できるわ。知ってる?離婚ってそんなに簡単には出来ないのよ」
彼女はそこでひとつ息をついて、さらに言葉を続けた。
「……私は生贄よ、殺されるつもりで来ているの。相手が怪物だろうと悪魔だろうと魔物だろうと、嫁でも愛人でも手下でも奴隷でも、なる覚悟はとうに出来ているわ」
「……覚、悟」
エレノアの言葉を反芻する魔物の瞳は、まだ何か言いたげというわけではないものの、完璧に納得してくれたというようにも見えなかった。彼女は少し考えて、口を開く。
「信じられない?証明でもしてみせればいいかしら?」
そう言うと、おもむろに彼女は手を伸ばして、魔物の纏う黒い布の首のあたりを掴む。勢いよく引き寄せると、不意をつかれた男は前のめりによろめいた。
彼女よりも高い位置にあった顔が、こちらに近付いてくる。エレノアはその唇めがけ、自分のそれを──躊躇いなく重ねた。