黒き魔物にくちづけを
第二章
◇浅い眠り、悪夢
昔から──と言っても、記憶を失ってからのことしか覚えてないので、たかだか十年ほど前でしかないのだけど、何度か見ていた夢がある。
勿論毎夜ではないし、そこまで頻繁だったわけでもない。忘れた頃に、思い出したように見せられるような、そんな夢だった。
それは穏やかで、暖かい夢だった。何人かの小さな子供が走り回っている光景で、その中に黒い瞳の少女も当たり前のように混ざっている、というもの。──ただし、鮮明に見えるものは黒い瞳の少女だけで、それ以外のものはぼんやりと霞がかかったようにしか見えないのだけど。
不思議なことに、その夢を見る時、彼女は決まってそれが夢であると気がついていた。夢の中の世界に入り込むことは出来ずに、ぽつんと、異物のように佇んでいた。
(……久しぶりね、この夢)
子供のはしゃぐ甲高い声を聞きながら、彼女はどこか冷静にそう思っていた。
彼女はこれまでに何度か見ているはずのこの夢が、嫌いだった。自分と似ている少女が、自分とは無縁な表情を浮かべているさまを見ている時間が、落ち着かなくて仕方なかったから。
自分には、幼い頃の記憶が無い。だからこれが記憶の断片のようなものなのか、自分の願望がつくりだした妄想なのかすら、彼女には判別出来ないのだった。その、正体もわからないような安寧──彼女がどうしたって得られなかったそれを、まざまざと見せつけられる瞬間が、苦痛であるとすら感じていたのだ。
(早く終わらないかしら)
夢であるとは気付いている。だから、あとは自分の体が覚醒してくれれば全て終わるはずなのに、この夢を見ている時はいつも、その瞬間はすぐに現れてくれないのだ。諦めたような気持ちで、彼女は傍観を決め込むことにした。
と──今日は、いつもと違うことが起こった。
夢の中の少女が、唐突に立ち止まる。他の子供たちの声が遠のいていくのに構わず、彼女は足を止めたまま、どこかをじっと見つめている。
そして、突然踵を返して、どこかへ向かって走り出した。
(え……?)
初めて見る光景に、彼女は戸惑った。いつも、少女が子供たちの一員として走り回る姿ばかりを見ていたから、こんなふうに一人でどこかへ行くことを見るのなんてなかったのだ。
(どうしたの……?体調を壊した、とかではなさそうだけど)
この夢は少女の姿を中心にして進んでいく。だから彼女も否応なく少女の行先を見守った。