黒き魔物にくちづけを
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ずんずんと肩をいからせて、彼女は大通りを進んでいた。
彼女の手には鞄が握られていた。中には、先ほど仮住まいに戻って詰め込んできた数少ない持ち物が全て詰められているから、少しばかり重い。──仮住まいは、引き払ってきた。
今朝の突然の解雇宣言から、まだそう時間はたっていない。あれから、新たな働き口を探そうとまわってみたのだが、どうやらあの夫妻、あることないことを吹き込んでまわってくれていたらしい。どこを訪ねようとも、エレノアを雇うという者は一人もいなかった。
挙句、仮住まいにしていたアパートの管理人にまで、「不吉を呼ばれたら困るから出ていってくれ」と言われた始末。勢いで引き払ってしまったものの、これから行くあてもない。
「全く、私が何をしたって言うのよ」
彼女は何もしていない。むしろあの喫茶店での働きだって、優秀な部類に入る。解雇された理由はただ一つ──彼女の瞳が、黒いから。
こうして不当に解雇されることは、初めての経験ではない。それどころかもう数え切れないくらいであるから、すっかり慣れてしまったものだ。とはいえ、やっぱり腹は立つのだけれど。
今まで一番短かったのは前にいた村の花屋での五分。店の外で会話して雇ってもらうことになったのだが、どうやらその時は光の加減で瞳が茶色く見えていたらしい。店内に入った瞬間黒いと気付かれ、その場で話はなくなった。それに比べたら、今回はもったほうだ、多分。
いくら黒が不吉な色だからと言って、人が足りていない場所はいくらでもある。だからなんとか食いっぱぐれることなくここまでやってこれた、のだけど。
「そろそろこの村も潮時、かなあ」
通りに誰もいないことをいいことに、エレノアは小さくひとりごちる。さっきまでそこそこ人がいたと言うのに、エレノアの姿をみとめた途端、揃って引っ込んでしまったのである。