黒き魔物にくちづけを
変わらずに蠢きながらじわじわ近付いてくる得体の知れない【それ】を前にして、とりあえず引き返そうと振り向いた時だった。
「……あら」
振り向いた先、彼女の背後。そこにも、闇が蠢いていた。
【それ】は一つではなかった。ようやく彼女は気がつく。周りを、何体もの【それ】に囲まれていることに。
(……困ったわね、どうしようかしら)
これでは、接触せずに抜け出すことは難しいかもしれない。彼女は考える。もし触ってしまったら、どうなるんだろう。
何か策はないかと、きょりきょろと辺りを見渡しながら考えていた、その時だった。
グルルル、という、低い唸り声が辺りに響く。その途端、蠢いていた闇たちがぴたりと動きを止めた。
何かがいる。そしてその気配は、彼女の背後から感じられた。覚えのある唸り声にある予感を覚えながら、彼女はゆっくりと振り向いた。
「……やっぱり」
そこにあるのは、見慣れた姿だった。黒い毛並みと黒い鱗、そして翼をもった、山のように大きな身体の獣。
彼はゆっくりとこちらに歩いてくる。闇たちは、道をあけるように脇へ寄った。やがてエレノアの側に来ると、【それ】らを見渡してもう一度低く唸る。
どこかで、キュー、キューという音がする。一瞬何の音だろうと首を傾げて、ようやく目の前の闇たちが発しているのだと気がついた。鳴き声のようなものだろうか。
(会話、しているのかしら)
何を話しているのかは、彼女にはわからなかった。人でないものにしか通じないものなのだろうか。
キュウ!と返事のように出した大きな声を最後に闇たちは辺りへと散っていく。けれど逃げていくという様子ではなく、エレノアにもう用はないというように、そう遠くない場所でまた蠢いていた。