黒き魔物にくちづけを
少なくとも彼女がこの町に来たばかりの頃──もう三年も前になる、は、ここまで黒という色への恐れもなかったはずだ。エレノアの出入りすら許さない村や町だって多い中、ここの町人は暖かく迎えるまではいかなくても、住む場所や働き口を与えてくれたのだから。
けれど、エレノアという不安分子が内にいると、それまでは何でもなくやり過ごせていたちょっとしたことに過敏になってしまうものなのか、例えば町の人気者が病気にかかったり、通りに動物の死骸が転がっていたりすると、彼女の黒い瞳のせいなのではと言い出す輩もいた。
渦巻く不安のはけ口、もしくはそれをぶつける標的。それが、自分の黒い瞳だとエレノアは思っている。そういう意味では確かに災厄だと彼女は思う。降りかかるのは町の人ではなく、エレノア自身であるけれど。
「せめて髪だったら染められたのに」
聞くもののいない彼女の不満は止まらない。幾度もなく考えたことだ。髪であれば対処もあったのに、瞳なのだからどうしようもない。眼鏡をかけたって見えてしまうし、両目なのだから眼帯も意味をなさない。両目を覆って視力を失うのは避けたいところだし。
天涯孤独の身の上である彼女にとって、その黒い瞳はとてつもなく大きな枷となって付き纏っていた。
──もう、十年ほど前になるだろうか。エレノアは、生まれ故郷である村を失った。幸か不幸か、生き残ったのは彼女たった一人だった。
その頃の記憶はほとんどない。まるであの日、村と一緒に焼け落ちてしまったかのように真っ白だ。時折、思い出を切り取ったような夢を見るくらいで。
唯一はっきりと覚えているのは、村を失ったその日の記憶。炎の赤と、それを囲む黒い獣と、美しい銀の瞳。その嘘みたいな光景だけが、彼女にとっての真実として残っていた。
以来、住まいや職を転々とし、黒い瞳と一緒に、どうにかここまで生き延びている。この町だって、そんな生活の中で訪れた町だった。