黒き魔物にくちづけを

「……あれは、【カゲ】だ」

彼女が闇たちの行く先を目で追っているうちに、いつのまにか人の姿に戻った魔物が、彼女の隣でそう言った。あれは、カゲと言うのか。

「驚かせたな。さっきのは恐らく、久しぶりに見た人間を驚かそうとしていただけだろう。たまにああいうことをするが、基本的には無害な魔物だ。悪さをすることは無い」

「……ふうん、あれも、魔物なのね」

カゲたちは、魔物の言葉を肯定するように、あちらこちらで蠢いたり飛んだり跳ねたりしている。エレノアを取り囲むようにして不気味さを醸し出していた時とは違って、それは子供が遊んでいるかのような無邪気さが感じられた。驚かそうとするくらいで無害、確かにそうなのだろう。

「ああ。魔物だ。この森には、あいつら以外にも魔物が沢山住んでいる。まだ昼間だし、人間に近付かないようにしている奴らも多いから、会わなかったのだろうが」

「そうなのね」

彼女は頷く。確かに、カゲたち以外には魔物はおろか動物すら見かけなかった。けれど隠れているだけで、あちらこちらに人ならざるものが潜んでいるのだろう。この森の雰囲気は、そういった類のものだ。

ところで、と、彼女は傍らにいる魔物を見上げる。当たり前のように会話をしているが、彼はどうしてここにいるのだろう。

「……起きたのね。その、寝覚めはどう?」

エレノアの視線と言葉を受けた魔物は、その意味を正しく理解して「ああ」と声を上げる。

「普通だ。……起きたらお前がいなかったから、匂いで追ってきた」

追ってきた、とはっきり言われ、彼女は目をしばたたかせた。魔物が、こうして自分から彼女に関わってきたのは、もしかしたら初めてかもしれない。
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