黒き魔物にくちづけを
「そうだったの。……勝手に出てきちゃったのはまずかったかしら?」
今まで放任を貫いていた魔物がわざわざ足を運んだということは、彼女の行為はあまり良くなかったのだろうかと訊ねた。ところが魔物はその問いには首を横に振る。
意外な反応に、彼女は首を傾げる。魔物は、どこか言いづらそうにしながら口を開いた。
「あ、いや……そういうわけでもないんだが、その、森で迷われたら、と思って……」
「……さすがに迷子になるほど遠くまで歩くつもりはなかったけど。そんなに心配だったの?」
しどろもどろの答えに思わず言い返しながら、ふと冗談のつもりで言ってみる。否定か無視をされるかと思っていたのだが、驚いたことに彼はびくりと目を見開く。……まさか、図星だったのだろうか。
「し、心配、というわけではない、ただ森で、その、何かあったらどうせ俺がどうにかするんだし、その」
明らかに動揺している彼の様子に、エレノアは思わず目を丸くする。まさか、本当に心配して来てくれたなんて。
魔物はきまり悪そうに視線をさまよわせている。エレノアはその様子が可笑しくて、思わずくすりと笑みを漏らした。
「そういうことにしておくわ。……ありがとう」
気付けば彼女は自然と礼を言っていた。そうしてから、なんだか胸の奥が温かいような心地がして、戸惑う。もしかして自分は、嬉しいのだろうか。
彼女の言葉に、まだ居心地の悪そうにしていた彼は、ああ、と短く返事を寄越した。
「じゃあ、行くか」
魔物はエレノアを見ると、妙な空気を振り払うのように短くそう言った。
「ええ、そうね」
屋敷に帰る、ということかと思い、彼女は来た道を戻ろうとする。ところが、魔物はそれとは反対の方向、つまり森の奥に向かって、足を進めようとした。
「……どこへ行くんだ?」