黒き魔物にくちづけを

「ああ……っ!」

ついに、最後の一人が倒れる。向かう敵は誰もいない。そのはずなのに──魔物は、依然としてぎらぎらと瞳を光らせ、彼らを睨んでいる。今にも飛びかかりそうな、低い体勢で。

「に……逃げろ!」

掠れた声で、長らしき男が叫ぶ。その声をきっかけにして、倒れていた男達は、気を失った者を引きずりながら、這いつくばるようにして森の出口目掛けて走り出した。

やっと闘いが終わる、その、はずなのに。

エレノアがその時抱いた、嫌な予感は当たってしまった。彼の脚が、地面を蹴る直前の形になり──エレノアは、気付く。魔物は、逃げる男たちの背を目掛けて、飛びかかろうとしている。

「……!」

エレノアは茂みから飛び出した。体が勝手に動いていた。無我夢中で走って、魔物の前に飛び出した。

今にも飛び出しそうだった魔物は、突然の邪魔者に目を丸くする。勢いを削がれたように、跳躍の体勢を崩した。

ウオオオオオオ、と唸り声が響く。魔物は狙いを彼女に変えて、激しく睨みつけていた。

(やっぱり。今の魔物は、どこかおかしい……?)

ぎらぎらとした銀の瞳に射抜かれながら、エレノアは考える。見慣れたはずの、静かで美しい銀色の瞳。それは確かに彼のものであるはずなのに、全く別の存在のものに見えた。それは彼が魔物の姿になったからではなくて、彼女を背に乗せてくれた時の彼は、人の姿の時と同じ目をしていたはずだ。けれどこれはまるで──闘ううちに、違う存在になってしまったような。

エレノアと敵達の区別もついていないような様子で、魔物は激しく彼女を威嚇する。けれどエレノアは怯むことなく、彼を真っ直ぐに見つめた。
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