黒き魔物にくちづけを
よく見ると魔物の瞳は、彼女を仇のように睨みながらも、どこか怯えたような色をしていた。魔物の傷の具合を確かめるべく手を伸ばしただけで、まるで刃物を振り上げられたかのように、怯えた様子を見せるのだ。
まるで昨夜のようだ、と思った。夜中に見た、悪夢にうなされる彼の姿。苦痛から逃れるように見境なく暴れるあの姿が、今のこの、怯えの反動のように激しく威嚇する姿と重なる。
「……大丈夫、何もしないから、信じて」
だから彼女は、昨夜と同じように声をかけた。大丈夫、大丈夫よ、と何度も繰り返す。
その言葉が通じたのか、それとも目の前に迫った彼女が攻撃する素振りを見せないからか、魔物の様子が落ち着いてくる。それを見計らって、彼女は魔物の身体に刺さったままの弓や剣を抜き始めた。
さすがに痛みが走るのか、抜く度に魔物は少し暴れた。けれど、もう動く力が残っていないのか、それとも理性が戻ってきたのか、彼女に攻撃をしようとはしなかった。
矢を抜く度に、彼女の顔や服に赤黒い血が飛びかかる。けれど、生温く痛々しいそれに彼女は怯まなかった。一心に、何本ものそれを抜き続ける。
「……終わったわ。痛い思いをさせてしまってごめんなさい」
やがて全て抜き終えて声をかけると、彼は今度こそ四肢から完全に力を抜いた。
次の瞬間、魔物の身体は収縮を開始した。みるみるうちに、寝そべっていても彼女の背丈を優に超えるほどの大きな身体から、細身の人間の姿へと戻っていく、変わっていく。
少しすると、魔物がいた場所の中心に見慣れた男がいた。地面にべたりと倒れ付した彼は、気を失っているらしくぐったりとしている。
魔物の身体で受けた傷はそのままで、あちこちから血を流している彼の顔色は悪い。治療が必要なのは明白だった。