黒き魔物にくちづけを
「人として、生き物としての感情が欠落してしまっているみたいなの。私は、どこか壊れているのかもしれないわ。……【化物】って、呼ばれたことがあるんだけど、その通りかもしれないわね」
「……」
淡々と語るエレノアとは対照的に、魔物の顔が、苦しげに歪む。
その表情は、自分よりよほど人間らしいと彼女は思った。彼女には、自分自身が壊れていることに関して悲しむ心すら、なくなっていたから。
(本当に、変な魔物。まるで自分のことみたいに、苦しげな顔をして)
魔物を見下ろしながら、彼女は考える。目の前のこのひとは、一体どんなひとなのだろう、と。
「そうか。……悪かった、変なことを聞いて」
「良いわ。……その代わり、私からも一つ質問して良いかしら?」
自分のことをひとつ明かしたのだから、今度は彼のことを知りたい、と彼女はそう頼む。魔物は意外そうな顔をして、すぐに頷いた。
「ありがとう」
快諾されたことに礼を言いながら、彼女はどう切り出そうか考える。彼女が質問しようとしていることは、恐らく彼が答えたくないことだと、彼女は知っていた。だからこそ、慎重にいかなければならない。
エレノアは、ここへ来てから見た、いくつかの夢を思い出していた。黒い髪に銀の瞳の、彼に似すぎている少年の姿。それから、自分と同じ黒い瞳の少女が叫んだ、名前。
「……ねえ、ラザレス」
なるべく何気ない風を繕って、当たり前のようにして、名前を呼ぶ。自分の予感が正しいことを願っているのか、それともそうならないことを願っているのか、自分でも分からなくなりながら。
彼女は息を呑んで、魔物の反応を待つ。怪訝な反応をするのか、それとも──。
「……なんだ?」
──彼は、返事をした。
ラザレス、と、初めて呼んだはずの名前に、さも当たり前のように、反応を寄越したのだ。