幼なじみクライシス
おれの父方の曽祖父がドイツ人だったらしく、川口家の男はみんな身長が180cm越えという男にとっては嬉しい遺伝を持っている。
特におれは成長が早く高校に入学にした頃には182cmになっていて、簡単なモデルのアルバイトをしていたこともあった。

「有ちゃんそのままねー!」

図書館裏にある無駄に広い草木の生えた一角。
一応ここでも休憩ができるように木のベンチが2つほど置かれているがほとんど利用されていないのかかなりの程度で朽ちている。

その側の桜の木はすっかり花びらを落とし、緑の葉いっぱいの姿に変わり、眩しいほどの太陽光を受けて青々と生い茂っていた。
その桜の木の側で、おれは先ほどから千尋の注文を受けて立つ位置や向きを何度か変えながら千尋のシャッター音を聞いていた。

風に揺れる葉のざわめきと、遠くから聞こえる言葉にもならない小さな雑音となった人々の喧騒。

ここには、おれと千尋以外誰もいない。

木の肌に触れながら閉じていた目を開ける。

ファインダー越しの千尋。

クリアになった頭の中に浮かぶのは1つだけ。

『千尋に触れたい』

シンプルで純粋な願い。

一定のリズムで切られていたシャッター音が止まる。

「終わった?」

そう声をかけると千尋はくるっと後ろを向いた。

「なんだよ、終わったのか?」
「う、うん…ありがとう…」
「写真は?」
「だ、だめ…」

後ろを向いた千尋の背中からカメラを覗き込もうとすると、千尋はカメラごと遠ざかる。

「なんだよモデルは見る権利あるだろ」
「今はだめ…ちゃ、ちゃんと現像してから!」

妙にあたふたする千尋は頑なに写真を見せようとはしない。

「もしかしてあの先輩に1番に見せるとか言うんじゃねえだろうな」
「違うよ…ていうか有ちゃんなんで先輩にそんな突っかかるの?」
「気に入らねえから」
「そりゃ有ちゃんとはタイプのちがう人だけど…。あ、でも先輩すごいんだよ、写真で賞とかもらってたりするの。お父さんも有名なカメラマンなんだって」

話を逸らすのに成功したと思っているのか、おれの中の佐藤のイメージを良くしたいのか千尋はいつものように笑顔を見せる。
佐藤の話でそんな顔をおれに見せるのは逆効果だということなどもちろん気づいてない。

「けっこう前に写真の雑誌を買ったことがあって、すごく好きな写真があったんだ。それが実は先輩の撮った空の写真だったの。この大学にしたのももしかしたら会えるかなっていうのが少しあったんだけど…有ちゃん?」


なんだよそれ。

この大学に来たのは佐藤に会うためだっていうのか。

慣れない一人暮らしをするのも、ずっと一緒に育った地元を出たのも、おれを置いていこうとしたのも。

あんな男の為だっていうのか。



だめだと分かっていた。衝動を抑え込まないと千尋を傷つけると。

怒りと欲望のどす黒い感情の波は理性を飲み込んだ。

腕の中に抱き込んだ小さな体に柔らかな唇。

パンという小気味いい高い音が頭の中に響く。

気付いたときには涙を溜めて今にも泣きだしそうな千尋の顔が。


「有ちゃん、最低だよ…っ」


殴られたと分かったのは走って去っていく千尋に声をかけようとして、切れた唇に痛みが言葉を封じたからだった。









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