次期国王は初恋妻に溺れ死ぬなら本望である
夕刻、プリシラは私室である黒蝶の間で、語学の勉強に励んでいた。古代ミア語は現在では使われていないが、歴史を学ぶ上で不可欠の言語だった。

スワナ公国からミレイア王宮に戻ってきてから、一週間が経過していた。ディルは留守にしていた間の仕事を片付けるのに忙しく、夜も執務室で仮眠を取る程度で済ますことが多かった。昨夜、ちらりと姿を見かけたのだが、随分と疲れた様子だった。
(ディルは面倒くさがりだから‥‥きっと食事もパンをかじるくらいしかしてないはず。野菜スープでも作って届けたら、喜んでくれるかしら?)
思いつきにしてはいい案だと、プリシラは早速行動に移すことにした。
辞書を閉じると、花瓶の水換えをしてくれていたリズに声をかける。

「リズ。厨房を少し貸してもらえるか、料理長に聞いてきてくれるかしら?」
王太子宮には専用の厨房がある。もう夕食の仕込みは終わっているころだし、隅っこを借りるくらいなら問題ないはずだ。
「昼食が足りませんでしたか?サンドイッチくらいなら厨房の者に頼めばすぐに用意してもらえると思いますよ」
「ううん。昼食は美味しかったし、お腹もいっぱいよ。そうじゃなくて‥‥その‥‥ディル殿下にスープの差し入れでもと思って」
なんだか気恥ずかしくて、意味もなく早口になってしまう。
「あっ、もちろん料理長が作ったディナーの方が美味しいのはわかってるんだけどね!ただ、たまには手作りするのも悪くないかなって」
「かしこまりました!そういうことなら早速、厨房に頼んできますね」
リズはにっこりと微笑んで、プリシラの頼みを聞き入れてくれた。

「‥‥気持ちは嬉しいが、お前の手作りは遠慮しとく」
リズが駆け足で部屋を出て行こうとするのとほぼ同時に、ディルが扉を開けて入ってきた。激務で少しやつれた顔に、苦笑いを浮かべている。
「ディル⁉︎」
「王太子殿下⁉︎」
プリシラとリズは同時に驚きの声をあげた。


< 85 / 143 >

この作品をシェア

pagetop