能ある鷹は恋を知らない
メインで出てきたのは赤みの綺麗なフィレ肉に香りのいいブラウンのソースが不規則に模様となって彩られ、回りには種類の分からないキノコが散りばめられていた一皿だった。
一口口に入れると食べたこともない柔らかさに思わず相好を崩してしまう。

「そんなに気に入った?」

私の表情を見て院長はくく、と笑う。
笑われると恥ずかしくなるが事実あまりに美味しすぎて口元が緩んでしまう。

「はい…美味しいです」
「良かった。都会嫌いの鮎沢ちゃんに少し良いところを知ってもらおうと思ったんだけど」
「…こんな風に綺麗なものを身に付けられて、美味しいもの食べたらさすがに嬉しいですよ」
「恋人役の代償にはなった?」
「やりすぎです。もう何も言えません」
「じゃあまた頼んでも大丈夫そうだ」
「それとこれとは別です」
「手厳しい」

まったくペースの変わらない院長には敵わない。
自由で何を考えているのか分からない。
この余裕の表情が変わることなんてあるのだろうか。

「私なんか連れてきて楽しいですか?」
「初めは反応を見てみたかっただけだけど、今のきみを見たら連れてきて良かったと思ってる」

その目はいつものからかうものとは少し違う色をしているようで、なんとなく胸が落ち着かなくなる。

「…でも、私にはこういうの敷居が高すぎて、やっぱり落ち着かないです」
「もったいない。今のきみならこの下で働く連中も喜んで貢いでくれると思うけど」
「そういうのはいりません」
「恋人も?」
「…今はいりません」
「そう」

別に追及するわけでもなく、院長は手元のワイングラスに口づけた。

恋人なんて。
ここ二週間ほどあまりに環境が変わりすぎて考える時間がなかった。考えることをしたくなかったのだ。

二年も付き合っておきながら、終わる瞬間はあまりにもあっけない。
腹立たしいというよりは喪失感。重ねてきた思い出の価値にお互いの間で温度差があったという事実。

ふと気付いた時にはテーブルの上にはまた見た目にも可愛らしいドルチェが乗せれており、甘いクリームと果肉の残る爽やかなベリーソースを口に運んで苦い気持ちごと飲み込んだ。


「院長、あの…ご馳走さまでした」
「俺も楽しませてもらったからお互い様」

いつ行われたのか分からないほどスマートに会計をされ、さすがにここで支払いをさせて欲しいと言い出すほど世間知らずではないつもりだ。
ただお詫びとお礼というには与えられ過ぎている感が否めないが院長相手にそれを言っても無駄な気がする。

「また今度デートするときは着てきて」
「え?」

院長を見ると私の着ているワンピースを指差していた。
ていうか今デートって。

「…デートじゃありません」
「二人でこんなところで食事したらデートでしょ」
「それは院長が………って、あれ、高島さん?」

店を出てエレベーターへ向かうと、その前に男性が立っていた。その出で立ちに覚えがあると思いながら顔を見ると涼やかな無表情で、思わず声に出ていた。

「…ああ、歯科医の」

振り向いた彼は声を掛けた私ではなく院長を見て呟いた。

「奇遇ですね」
「仕事で。…この間は助かった。感謝している」
「いえ、また来週来ていただければ」

院長と話していた彼の視線がちらりとこちらを見る。
目が合うとその瞳が僅かだけ大きくなったように思えた。

「きみは…クリニックにいた助手か」
「衛生士です。声掛けたのに気づきませんでしたか?」
「いや、まるで別人じゃないか」

そこまではっきり言わなくても。確かに今の私は服やら髪やら魔法がかかってるようなものですけど。

「くく、確かに別人」
「院長」
「あなた方はそういう間柄だったのか」
「え?違います、これには理由が」
「そんな否定しなくてもいいのに」
「いえ、患者さんに変に誤解されるのは同じ職場で働く身として避けたいので」
「相変わらず硬いねー」

院長との掛け合いを見ていた彼は何かじっと考え込んでいたかと思うとおもむろに口を開いた。

「上で飲まないか」
「え?」
「俺と飲まないかと訊いている」

どうしてこの人はいつもこう唐突なのか。

じっと私を見つめる目は無表情のままでその真意は掴めず、私の現実離れした一日はまだ終わらなかった。

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