能ある鷹は恋を知らない
「鮎沢ちゃん、次彼呼んでね」

患者さんの治療が終わってすぐにわざわざカルテを手渡された。その表情からして患者の名前は見なくてもわかる。

『高島穂積』

ファイルに挟まれたカルテにはその名前が印刷されていた。さらに付箋で先にスケーリングをするよう指示が付けられている。

院長に対しても高島さんに対しても感情が波立たないよう軽く深呼吸をしてから待合室に向かった。

「今日は治療の前にスケーリングしますね。チェアに掛けてください」
「ああ」

この間と同じように高島さんがチェアに座り、首にペーパーナプキンをかける。
チェアを倒して椅子に腰掛け、器具をセットしていると視線を感じた。

「…どうかしましたか」
「この間のように着飾るのもいいが、その方がきみらしいな」
「…っ」

思わぬ言葉に器具をぶつけてカシャンと音を鳴らしてしまう。
そういうことを無表情で言う彼の言葉は嘘やお世辞だと思えず、それ故にどう反応していか分からないまま聞き流すように処置に取りかかった。

「…では始めます」

チェアを倒していつものように工程を重ねていく。
作業に入ってしまえば集中してできる分余計なことを考えなくて済んだ。

「終わりました。この後先生に治療してもらいますね」

スケーリングを終えてすぐにチェアを起こし、高島さんから離れるように手洗い場で手袋を交換する。
妙に意識しているような自分が落ち着かない。どうしてこんな気持ちになるのかと言えば、高島さんの言動が全く予想ができないからだった。

「今日は何時に出られる」

これだ。もうこの間の自分の発言でデートすることが決定事項になっている。
さっきまでどうしようと悩んでいたのに、いざ当然のように言われるとついいらっとした感情が口を突いて出た。

「高島さん、私この後あなたに付き合うとお返事した覚えはありませんが」
「何か予定があるのか」
「…ないですけど」
「なら問題ない」
「そうじゃなくて。私の気持ちを無視したように言われることに対して抗議してるんです」

そこまで言うと高島さんは口を閉じて考えを巡らせるように黙りこんだ。
そして考え込んだ末に、というようにゆっくりと言った。

「きみを怒らせるつもりはない。俺に付き合うのは気が進まないか。食事もきみが満足できるだろうところを考えている」
「…それではいって言ったら食事に釣られるみたいじゃないですか」
「どうしてきみはそんなに頑ななんだ。今までそんな女に会ったことはないぞ」
「あなたがどういう女性たちと出会ってきたのか知りませんが、皆がみんな一緒だと思わないでください」
「はいはい。そこまで。ここ一応公共の場だから」

唐突に軽い声と共に院長がスペースに入ってきた。
職場だと言うのについ言い返すのにむきになってしまっていた。

「…すみません」
「いいけど、そういうのは終わってからゆっくり話してねー」

そう言って院長は早速治療に取り掛かった。
終わってから話せということは結局高島さんに付き合うことになりそうだ。
それ自体は嫌ではないのに、気持ちを乱されることに対する警戒のようなものが残っていた。
一先ずは仕事だと余計なことを頭から追い出すように作業に集中した。


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