能ある鷹は恋を知らない
事の始まりは一週間前、恋人だったはずの男に浮気され、勢いで別れたその日に上の階の住人がお風呂を沸かしたまま寝てしまったという信じがたい凡ミスのおかげで私の部屋にまで浸水、とても住める状態ではなくなり急遽部屋を追われることになった。
さらには勤め先の歯科医まで突然のチェアの故障を機に院内を改装することになり、退職か長期休暇を選択しなければいけなくなった。
いきなり人生の崖っぷちに立たされたような気分で、もはや何から考えていいのか分からないと絶望していたとき、東京に嫁いでいた三歳年上の姉から東京に出て来ないかと誘いを受けたのだ。
「芹香も東京に出なさいよ。家と職場が決まるまでうちに居ていいし」
恋人も家も職も失った私にはその申し出を断る理由はどこにもなく、人生で初めて東京へと引っ越すことになった。
『都会の中でもおじいちゃんおばあちゃんが主な患者さんです。女性だけのスタッフで伸び伸び働けます』
姉の好意に甘えて東京に出て二日。
ネットから仕事を探しているとその求人文句に惹かれてすぐに応募した。
千葉で働いてた歯科医院は田舎でシニアの患者さんが多く、出来るだけ同じような環境が良いと思ったからだ。女性ばかりというのも安心だし。
早速面接をと呼び出されたのは駅前にある全国チェーンのカフェだった。
「山田です」
にこにことした愛想のいい老婦人。
都会に出て家族以外で初めて会話することになる面接で、どんな人が来るかと緊張していたのは一瞬だった。
「鮎沢芹香と申します。よろしくお願いします」
「はい、鮎沢さんね。よろしくね」
一通り履歴書に目を通した山田さんが掛けていた老眼鏡を外して私を見る。
「鮎沢さん、ネットを見ていただいたとのことだけど、うちの環境で働けそうかしら?」
「はい、千葉でもシニアの患者様がほとんどでしたし、女性ばかりというのも安心です。医院もここから近いんですよね」
「そうね…。私としては貴女に働いてほしいと思います。ただ、最後に院長とも話をしていただくことになるの。明日の10時にここへ来ていただくことは可能かしら?」
差し出されたのは小さなカードに書かれた地図と「B.C.square TOKYO」という建物の名前。その中の2階にあるカフェの名前に下線が引かれていた。
「はい、大丈夫です。…『B.C.square TOKYO』って、隣の駅の大きいビルですよね?」
「ええ。色々疑問などあれば院長に聞いてね。明日、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそありがとうございました」
そのカードを渡されてから微妙に硬い表情になった山田さんはあいさつが終わるとそのままカフェを出て行った。
どうしてテレビでも見るようなビルで待ち合わせなんだろう。
その疑問が浮かんだが考えても分からない。
とにかく面接は好感触、なのかな。
まずは一歩踏み出せたことで待ち合わせ場所への違和感も吹き飛んでいた。
後から考えれば、山田さんの硬い表情の意味も、早々に席を立って帰ってしまったのも、不可解な待ち合わせ場所への突っ込みを避けてのことだったのだ。
さらには勤め先の歯科医まで突然のチェアの故障を機に院内を改装することになり、退職か長期休暇を選択しなければいけなくなった。
いきなり人生の崖っぷちに立たされたような気分で、もはや何から考えていいのか分からないと絶望していたとき、東京に嫁いでいた三歳年上の姉から東京に出て来ないかと誘いを受けたのだ。
「芹香も東京に出なさいよ。家と職場が決まるまでうちに居ていいし」
恋人も家も職も失った私にはその申し出を断る理由はどこにもなく、人生で初めて東京へと引っ越すことになった。
『都会の中でもおじいちゃんおばあちゃんが主な患者さんです。女性だけのスタッフで伸び伸び働けます』
姉の好意に甘えて東京に出て二日。
ネットから仕事を探しているとその求人文句に惹かれてすぐに応募した。
千葉で働いてた歯科医院は田舎でシニアの患者さんが多く、出来るだけ同じような環境が良いと思ったからだ。女性ばかりというのも安心だし。
早速面接をと呼び出されたのは駅前にある全国チェーンのカフェだった。
「山田です」
にこにことした愛想のいい老婦人。
都会に出て家族以外で初めて会話することになる面接で、どんな人が来るかと緊張していたのは一瞬だった。
「鮎沢芹香と申します。よろしくお願いします」
「はい、鮎沢さんね。よろしくね」
一通り履歴書に目を通した山田さんが掛けていた老眼鏡を外して私を見る。
「鮎沢さん、ネットを見ていただいたとのことだけど、うちの環境で働けそうかしら?」
「はい、千葉でもシニアの患者様がほとんどでしたし、女性ばかりというのも安心です。医院もここから近いんですよね」
「そうね…。私としては貴女に働いてほしいと思います。ただ、最後に院長とも話をしていただくことになるの。明日の10時にここへ来ていただくことは可能かしら?」
差し出されたのは小さなカードに書かれた地図と「B.C.square TOKYO」という建物の名前。その中の2階にあるカフェの名前に下線が引かれていた。
「はい、大丈夫です。…『B.C.square TOKYO』って、隣の駅の大きいビルですよね?」
「ええ。色々疑問などあれば院長に聞いてね。明日、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそありがとうございました」
そのカードを渡されてから微妙に硬い表情になった山田さんはあいさつが終わるとそのままカフェを出て行った。
どうしてテレビでも見るようなビルで待ち合わせなんだろう。
その疑問が浮かんだが考えても分からない。
とにかく面接は好感触、なのかな。
まずは一歩踏み出せたことで待ち合わせ場所への違和感も吹き飛んでいた。
後から考えれば、山田さんの硬い表情の意味も、早々に席を立って帰ってしまったのも、不可解な待ち合わせ場所への突っ込みを避けてのことだったのだ。