能ある鷹は恋を知らない
眩しい程白い床にカツンというヒールの音がこだまする。
こんなヒールも久しぶりに履いた。自分では選ばない高めの7cmヒールだ。
その音が近づくと高島さんはいつの間にか持っていた仕事のものらしき資料の束から顔を上げて私を見た。

「いいな」

目が合った一瞬だけ瞳が僅かに大きくなると、ふ、と笑うように目元が下がり、口元が笑みを象った。

「…っ」

普段がほぼ無表情なだけにそのギャップは反則的で思わず顔が熱くなる。

「この間のドレスより余程きみに似合っている」
「あ、ありがとうございます」

そんなだめ押しで褒めないでほしい。そんな風に満足そうな顔をされたらどんな顔をしていいか分からない。

「時間もちょうどいい。店に向かう」

そう言って高島さんはそのまま店の入口に向かい、私も後を追った。


「ここ…ですか」

車が到着したのは意外にも周囲が樹木と鉄柵で囲われた洋館のような敷地の前だった。
大きい門の前にはスーツ姿の男性が立っていて、車から降りた高島さんは近付いてきた彼に車のキーを預けた。

「こっちだ」

門をくぐる前に高島さんは左腕をエスコートするように私へ向けた。手を添えろということらしい。
慣れない動作に戸惑いながら手を腕に触れると敷地の中へと二人で歩いていく。

店までの道は舗装されているがその脇にはレンガが埋め込まれており、見渡す敷地内にもたくさんの樹木が植えられていた。
店の外観も赤いレンガで覆われており、まるでヨーロッパのおとぎ話に出てくるような可愛らしく雰囲気のあるものだった。

「素敵…」

思わず声に出るとすぐ頭上から声が降る。

「こういうのが好きか」
「はい…なんだか絵本に出てくるお店みたいです」
「きみはほんとによく表情が変わる。いつもそんな顔をしていればいいものを」

優しい声でそう言われると妙に恥ずかしくなって黙り込んだ。
この人の言葉はいつもストレートすぎて困惑する。

「いらっしゃいませ、高島様。お席へご案内いたします」

執事のような老紳士がゆっくりとお辞儀をする。ここでも顔を覚えられているようで高島さんが自ら名乗ることはなかった。
上客の顔と名前を覚えるのも大変だろうと店員に気を取られていると腕を外した高島さんが私の腰に手を添えて先に歩くよう促した。
単なるエスコートだと分かっていても触れられた部分から体温が上がっていく気がした。

店内はかなり広い割にテーブルが少なく、他の客の会話はほとんど聞こえてこない。

「こちらになります」

案内されたのは大きな窓際のテーブルで、席へ着くと窓から明るい月が見えた。
都会に出てきてこんな月を見るのは初めてだ。

「…ありがとうございます」
「何がだ」
「東京に出てきてこんな綺麗な月を見られると思わなくて」

私の言葉に高島さんは苦笑するように言った。

「きみは本当に変わっている。そんなことで礼を言われたのは初めてだ」
「あ、もちろんこんな素敵なお洋服も着せてもらって、すごく嬉しいです。高級ブランドなんて尻込みしちゃうのに、このワンピースは見た瞬間着たい、って思ってしまって…私なんかにはもったいないくらいです」

そう言うと高島さんは手を止めて私を見る。

「そんなことはない。それはきみが着てこそだ。そう思ったから俺が選んだ。きみはどうしてそんなに自己評価が低い」

じっと思慮深い目が私を見つめる。
その目は綺麗に着飾られた私ではなく、ただの一般庶民としての『鮎沢芹香』を見透かそうとしているようで、言葉に詰まった。


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