能ある鷹は恋を知らない
「鮎沢芹香さん、だね?」

目の前にいるのが男性だということに気を取られていた私に気遣うように声がかかる。
優しそうな表情ながら、眼鏡の奥のきりっとした目元に理知的な印象が伺える。

「あ、はい。鮎沢です」
「じゃあこっち座って」

目で促されるままに向かいへ腰かける。
困惑の表情の私に構う様子もなく、長谷望未と名乗る男性は「コーヒーでいい?」と確認を取ると店員に私の分を一緒に注文した。

向かいに座る彼の顔を改めて見るとかなり整った顔立ちをしていることに気付いた。
鼻筋も高く、鋭く見えそうな目も細い縁取りの眼鏡と相まってインテリというか知的な雰囲気がある。

「実は求人で出してた内容だけど、いくつか訂正がある。それを今から説明する」

姿勢を直して覗き込むように見る彼の目は、口元の笑みとは対照的にじっと見透かすように私を観察していた。

「まずクリニックの場所、このビルの4階になる」
「…え?」
「メインとなる患者は基本的にキャリアが多い。シニアは少ないな。それからさっきも言ったけど、院長は俺だ」

それって、訂正というよりもはや詐欺では。

「ただ俺以外のスタッフはみんな女性だし、俺の名前も院長として掲載していたから嘘ではない」

いや、『長谷望未』って名前だけだと女性だと思っても全然おかしくないし、明らかにその効果を狙った言い回しだ。
どういうつもりなんだろう。というかクリニックがこのビルって。

「あの、でも私こんなところで働くなんて全く想定外というか…」

こんなきらきらした場所に毎日通うなんて正直ごめんです。

私の敬遠したいオーラを感じたのか、彼のコーヒーを持つ手がぴくりと動いた。
そしてコーヒーをソーサに戻し、両手を組んで私の方に半身を乗り出した。

「実はそんな掲載を出したのにはわけがある。この上で働く奴の年収を知ってるか」
「は?」

いきなり何の質問だ。ここで働く人の年収なんてそもそも興味ないし知るわけないじゃない。

「くく…そんなもん知るかって顔だな」

私の顔を見て彼はおかしそうに笑った。笑うと目元が少しだけ下がって柔らかい印象になる。

いや、なんで私が笑われなくちゃいけないの。

少しむっとしてコーヒーをくるくるかき混ぜていると正面から信じられない言葉が飛んできた。

「ミドルフロアでも1000万、27階以上のアッパーだと4000万だ」

よんせんまん。
全くリアリティのない数字にどう反応していいのかも分からない。

「ここに入るときすごい行列だったろ」
「あ、はい、そうですね。都会の人はコーヒー一つに行列なんてびっくりしました」
「あれはコーヒー目当てじゃない」
「え?」

カフェに来るのにそれが目当てじゃないってどういうことだ。

「あの行列はこのビルで働く男目当ての女たちだ」
「そんな…」
「見てみろ、こっちの区画は全部ソファがブラウンだ。入口を境に反対はブルーのソファ。一般客とこのビルに出入りする人間とに分けられてる。以前はそんな区分もなかったが、やたらと小物をなくしたり、相席をしたがる女が増えて色々クレームが増えた結果こうなった」

信じられない。入口で騒いでた彼女たちが日本初上陸のカフェには目もくれず、男さがしに盛り上がっていたなんて。そりゃ完全予約制にもなるわけだ。
都会、恐ろしすぎる。

「カフェくらいあんな女どもがいてもどうでもいいが、自分のクリニックにあんな人間を雇いたくはない。そこでちょっとばかり求人広告に事実とは違う掲載をしてる」
「…大変ですね」
「他人事のように言うけど、俺はきみを口説いてるつもりだ」
「えっ」
「田舎から出てきて都会への憧れもなし、ハイスペックな男にもセレブ生活にも願望がないようだし、同僚が女性だけの方がいいんだろ」

そうですけど。ここの求人じゃ何一つとして当てはまってないじゃない。

「だから、私にはちょっと荷が重いというか…」
「あと一つ、訂正を忘れてた」

私の言葉などまるで耳に入っていないように彼は言った。

「給料は求人広告で出してた額の二倍だ」


第一印象の優しさなんてすでに吹っ飛んでいた。

私が断らないことを確信していたのだろう、その笑みはまるで大魔王のようだった。





< 4 / 65 >

この作品をシェア

pagetop