能ある鷹は恋を知らない
彼も恐らく先ほどの教授の会話と彼女の肩に置いた手を見ていたんだろう、普段の無表情には珍しく驚いた顔をしていた。

「高島さん…どうして」

硬い声で告げる彼女の横で平然と彼を見た。

「何か忘れ物でも?」

そう言うと彼はぴくりと眉間を寄せてすぐに引き返した。

「いや、勘違いだったようだ。すまない」
「え、あのっ」

明らかに当惑している彼女を見て苛立ちが波のように押し寄せるが、何事もないような顔で声をかけた。

「鮎沢ちゃん」
「え、はい…」
「とりあえず、仕事に戻ろうか」
「…はい」

どうしてきみはそんな顔をする。

どうして俺はこんなに苛つく。

その答えが分からないまま、一日が終わろうとしていた。

診察が終わり、片付けに入っている彼女を何の気なしに見に彼女の担当スペースへ向かう。
器具の補充をしていた彼女はどこか思い詰めたような表情で心ここにあらずといった顔だ。

そんな彼女の顔を見るとまた胸の奥に黒い渦が立ち上る。

「わ、びっくりした…何ですか、院長」

見られていることに気付いた彼女が驚いたように俺を見た。

「悩んでるね」
「唐突に現れて人を見透かすようなこと言うの止めてください」

見透かすも何も誰が見ても分かるほどあからさまだっただけだ。

「図星だ」
「…悩んでません」

そんな分かりやすい嘘をついて何になる。
その顔の原因は分かっている。

「高島くんに俺の婚約者だって誤解されたこと?」
「…っ」

あまりに素直な反応に思わず口元が笑ってしまう。

ただ、心の中では制御することを諦めた苛立ちが急速に育っていた。

「そんなに俺の婚約者が嫌って?」
「何言ってるんですか。縁談断るための口実なだけじゃないですか」

目をそらし、誤魔化すように彼女は言う。

「俺は口実じゃなくても良いんだけど」


そう言って、気付いた。

ああ、そうか。

俺は、彼女のことが。


「もう、また何言って…」

冗談じゃない。

こんな負け戦に誰が挑むんだ。

「俺の婚約者になるのは嫌?」
「院長…またそうやってからかうの良くないです」

俺の方がそうであってほしかった。

「冗談じゃないって言ったら?」
「どうしたんですか…らしくないですよ」

ああ、自分でもそう思ってる。

「らしくない、ね。確かにそうかもしれない。思っていたよりきみのこと気に入っていたみたいだ」

自然と伸びた手が彼女の頬に触れて、それに彼女がぴくりと反応する。

「高島くんのところに行く?」
「ど…して…」

こんな感情が、俺の中にあったなんて驚きだ。

「行かせたくない」

見つめる彼女を引き寄せて、その愛しさにたまらず口付けた。

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