能ある鷹は恋を知らない
「はい、今日はここまで。来週また来て」
「来週?」
うがいのための可愛い動物イラストが描かれた紙コップが全く似合わない彼は、チェアの上で院長の言葉に難色を示した。
「一回で治らないのか」
「ここまで放置されると難しいね。神経までいってるから」
「高島さん、最後まで治療しないと余計痛くなりますよ」
首に巻いたナプキンペーパーを取ると、彼は眉根に皺を寄せて考え込んでいた。
「痛みがまた出るのは避けたいが…」
「皆さん時間を作って来られてるので、高島さんも来てくださいね。受付時間内に」
「…きみは俺に対してとげとげしくないか」
「普通です。当たり前のことを言ってるだけですから」
こっちを不満げな顔で振り返る彼の顔は見ずに作業台を片付け始める。
「…善処する」
「鮎沢ちゃんの前ではエリートも形無しだね」
はは、と笑って院長は記入の終わったカルテを私へ手渡した。
「止めてください。患者さんは患者さんなだけです」
「そういうとこが気に入ってるんだけどね。じゃ、あとよろしくー」
そう言って院長は部屋に戻っていく。
チェアから降りた高島さんは去っていく院長の後ろ姿を見て呟いた。
「医者らしくない男だ」
「まぁ、それは私も同感です。でも、まだ私一週間しか見てないですけど、先生の腕は確かですよ。今まで働いていたどの医院の先生より知識も技術もあります。ですから安心してください」
「…そうか」
高島さんは意外そうな目で私を見たあと、ふ、と息をもらすように笑ったように見えた。
そういう表情だとだいぶ印象が変わるのに。
「なんだ」
スーツの乱れを整え、出て行こうとする彼は私の視線に気付いたように言った。
「なんでもありません」
「それじゃ、失礼する」
「はい、お大事に」
入口まで一緒に歩いていき、鍵を閉めるために待っていると扉を出ようとした彼が振り返ってじっとこっちを見る。
「もしかしてさっきのは一週間くらい前の話か」
「え?」
どうしてこの人はこう唐突な話し方になるんだろう。
しかし思いのほか真面目に思案しているようなので口を挟むのを躊躇った。
「確かにエレベーターホールで誰かに接触したことを思い出した。あれはきみだったのか」
「…はい」
まさかそんなことを覚えていたなんて意外だ。かなり急いでいたようだし気にも留めていないと思っていたのに。
「悪かった。緊急性のある事態に呼び出されて周りを見ていなかった」
「…謝ったりするんですね」
つい口をついて出た言葉が彼の眉間に皺を刻んだ。
「…やっぱりきみは俺に偏見があるらしい。失礼する」
「お大事に」
「ああ、今日は助かった」
それだけ言い切って涼しい顔で颯爽と歩いていく彼をつい目で追ってしまった。
意外と、常識がないわけでもないらしい。
最初の印象から少しだけ上方修正してカーテンを下した。
「院長、お先に失礼します」
手際よく診療台を片付けてから院長室を覗く。
部屋の奥のデスクに座り、パソコンを叩いていた彼は顔を上げてこっちに視線を投げた。
「ああ、ありがと」
「いえ、では失礼します」
「あ、鮎沢ちゃん」
部屋のドアを閉めかけた手を止める。
「…なんでしょう」
「今週の土曜日付き合ってほしいところがある」
「それは、仕事ですか?」
「半分仕事だ。もちろん休日手当は出すよ」
土曜日が臨時休診になってたのはこれか。
『半分仕事』という言い方が気になるが、引っ越し先の初期費用などを考えると少しでも稼いでおきたいと頭の中の天秤が傾く。
「…分かりました」
「じゃ、よろしく」
眼鏡の奥の不敵な笑みに少し嫌な予感がしたが時すでに遅し。
パソコンに視線を下した彼は周囲をシャットアウトするように作業を再開していた。
「来週?」
うがいのための可愛い動物イラストが描かれた紙コップが全く似合わない彼は、チェアの上で院長の言葉に難色を示した。
「一回で治らないのか」
「ここまで放置されると難しいね。神経までいってるから」
「高島さん、最後まで治療しないと余計痛くなりますよ」
首に巻いたナプキンペーパーを取ると、彼は眉根に皺を寄せて考え込んでいた。
「痛みがまた出るのは避けたいが…」
「皆さん時間を作って来られてるので、高島さんも来てくださいね。受付時間内に」
「…きみは俺に対してとげとげしくないか」
「普通です。当たり前のことを言ってるだけですから」
こっちを不満げな顔で振り返る彼の顔は見ずに作業台を片付け始める。
「…善処する」
「鮎沢ちゃんの前ではエリートも形無しだね」
はは、と笑って院長は記入の終わったカルテを私へ手渡した。
「止めてください。患者さんは患者さんなだけです」
「そういうとこが気に入ってるんだけどね。じゃ、あとよろしくー」
そう言って院長は部屋に戻っていく。
チェアから降りた高島さんは去っていく院長の後ろ姿を見て呟いた。
「医者らしくない男だ」
「まぁ、それは私も同感です。でも、まだ私一週間しか見てないですけど、先生の腕は確かですよ。今まで働いていたどの医院の先生より知識も技術もあります。ですから安心してください」
「…そうか」
高島さんは意外そうな目で私を見たあと、ふ、と息をもらすように笑ったように見えた。
そういう表情だとだいぶ印象が変わるのに。
「なんだ」
スーツの乱れを整え、出て行こうとする彼は私の視線に気付いたように言った。
「なんでもありません」
「それじゃ、失礼する」
「はい、お大事に」
入口まで一緒に歩いていき、鍵を閉めるために待っていると扉を出ようとした彼が振り返ってじっとこっちを見る。
「もしかしてさっきのは一週間くらい前の話か」
「え?」
どうしてこの人はこう唐突な話し方になるんだろう。
しかし思いのほか真面目に思案しているようなので口を挟むのを躊躇った。
「確かにエレベーターホールで誰かに接触したことを思い出した。あれはきみだったのか」
「…はい」
まさかそんなことを覚えていたなんて意外だ。かなり急いでいたようだし気にも留めていないと思っていたのに。
「悪かった。緊急性のある事態に呼び出されて周りを見ていなかった」
「…謝ったりするんですね」
つい口をついて出た言葉が彼の眉間に皺を刻んだ。
「…やっぱりきみは俺に偏見があるらしい。失礼する」
「お大事に」
「ああ、今日は助かった」
それだけ言い切って涼しい顔で颯爽と歩いていく彼をつい目で追ってしまった。
意外と、常識がないわけでもないらしい。
最初の印象から少しだけ上方修正してカーテンを下した。
「院長、お先に失礼します」
手際よく診療台を片付けてから院長室を覗く。
部屋の奥のデスクに座り、パソコンを叩いていた彼は顔を上げてこっちに視線を投げた。
「ああ、ありがと」
「いえ、では失礼します」
「あ、鮎沢ちゃん」
部屋のドアを閉めかけた手を止める。
「…なんでしょう」
「今週の土曜日付き合ってほしいところがある」
「それは、仕事ですか?」
「半分仕事だ。もちろん休日手当は出すよ」
土曜日が臨時休診になってたのはこれか。
『半分仕事』という言い方が気になるが、引っ越し先の初期費用などを考えると少しでも稼いでおきたいと頭の中の天秤が傾く。
「…分かりました」
「じゃ、よろしく」
眼鏡の奥の不敵な笑みに少し嫌な予感がしたが時すでに遅し。
パソコンに視線を下した彼は周囲をシャットアウトするように作業を再開していた。