【エッセイ】『願はくは花のもとにて』
エゴサーチって…
うちは基本的にエゴサーチってやらないです。
前に1回やったらWikipediaの解説がかなり悪意に満ちたもので、しかも公開してないはずの本名までバラされてて、それからやってないってのはあります。
まぁさらに言うと、あんまり自分に興味がないんですよね。
よく「よく身の程を知れ」なんて話はありますけど、知ったところでなんになります?
知ってオゼゼが殖えるなら知りたいとも思いましょうけど、別に富裕になれる訳でなし、知る必要もないかなと。
だいたいね、うちがどんな人間かってのは、うちが棺桶に入ってあとの歴史マニアの暇話のレベルで分かればいいのであって、大々的にどうのこうのって話柄でもないでしょう。
うちね、かねがね疑問なのが「自分探し」って旅に出たりしますでしょ。
うちも旅はしますけど、別に旅先まで来て自分なんか探したかぁない訳でありまして、旅なんだから好きなようにさせろやってのが偽らざるところな訳ですよ。
それをね…あーでもない、こーでもないって、ガチャガチャ調べ回って、まぁ不安要素をなくしたいのは分からんでもないけど、だったらロボットみたいに過ごしてりゃあなんとでもなるんで、人間性を捨てれば済むだけなのですよ。
うちはなんやかんや血もあれば骨も肉もある生き身ですから、無機質な生き方なんてバカバカしい。
多少は無駄かも知れないけど、生きた経験を持ってるほうがどれだけ賢くいられるか。
だからね、うちは自分がどんな人間かなんて訳わからんこと知りたいと思わんのですよ。
うちは基本的に「なんで生きてるときにもっとこの人をクローズアップしなかったんだ!」ってあとから言われるのを狙ってます。
なぜならね、そのときにはみんなうちを嫌いなやつらもいなくなってるから、悪意に満ちた怪しげな意見の指し挟まる余地がなくなるってのが理由ですかね。
まぁさらにいうと、そうやってなぜ生きてるときにって言われるってことは、今のリアルタイムに生きてる連中の目が節穴か慧眼かを知るバロメーターになるわけで、すなわち「ちゃんと注視してなかったら後世の連中にバカにされてレッテル貼られて終わるんだよ」って意味でもあります。
ま、要はちゃんと周り見とけよって話ですわ。