Sの陥落、Mの発症
「中條、悪かった。待ってくれ」

後ろから歩いてくる彼は待ってくれと言う割に私ほどのスピードではなく、余裕がありながらも徐々に距離を詰めてくる彼の脚の長さが恨めしかった。

「樫岡くんのからかい相手になってるほど暇じゃない」
「からかったつもりはないけど、悪かったって。昼おごるから」

あくまであの口説き文句は本音だって言いたいわけ。

彼の根っからの口説き魔ぶりに呆れつつ隣に追い付いた彼を見上げた。

「ランチにしては可愛くない値段の店にする」
「仰せのままに」

こうしてすぐ許してしまうあたり、私もなんだかんだ彼を憎みきれないのだった。

「お腹いっぱい」
「前菜からデザートまで食べたしね」
「言っておくけど、普段こんなとこばっかり来ないから」

カジュアルイタリアンの店は凝った内装にランチでもちょっとしたコースがあったりして、少し奮発してもいいかと思った時にしか来ない場所だった。
値段はそれなりにするけれど、それに納得するくらい味もお気に入りのお店だ。

「特別な日だけ?」
「そう。仕事が上手くいったとか、自分へのささやかなご褒美」
「じゃあ、今も特別な時間?」
「…樫岡くん、全然反省してないじゃない」

目の前の同期は涼しい顔で食後のホットコーヒーに口をつける。
呆れながら私もコーヒーを飲みながら腕時計に視線をやった。

「時間ちょうどかな」
「ああ、そうだな」

ファッションショーが13時半開始。
今から店を出て地下鉄で5分。

二人で店を出て目の前の地下鉄のホームへ降りていった。

「ごちそうさま」
「初めて来たけど良かった」
「またデートで使える店が増えて良かったわね」
「最近はそんなに遊んでないって」
「それほど信用ない言葉もないかも」
「手厳しいな」

雑談を交わしながら地下鉄に乗り込み、目的の百貨店へと向かった。

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