Sの陥落、Mの発症
「あれ、中條課長じゃないですか」
姿を現した彼は私に見せるいつもの通りの好青年の笑顔だった。
「なんか、恥ずかしいとこ見られた気分です」
はは、と笑いながら、彼は私の足下に落ちたファイルに目をやるとそれを拾って埃をはたいた。
「落ちてますよ」
そう言って私にファイルを手渡すときの目に、さっきの一言が頭に甦ってビクリと肩が強張った。
「あ、ありがとう…ごめんなさい、拾わせて」
「一つ聞きたいんですが」
受け取ろうとしたファイルは彼の手に固定されて動かなかった。
「佐野、くん…?」
どくんと心臓が嫌な音をたてる。
「中條課長はどうして僕をそんな目で見るんですか?」
「そんな目って…」
私が聞きたい。どうしてあなたはそんな目で私を見るの。
まるで、狩りをする獣のような目で。
「いつも観察するような、探るような視線。感じるんですよね、僕に近寄りたくないって思ってる」
見透かされていた。
まさに考えていたことをそのまま告げられて、完全に肯定の沈黙になってしまう。
「僕は中條課長とも仲良くしたいと思ってるのに」
これのどこが好青年なの。
みんな彼のどこを見てるの。
「佐野くん、ほんとはそんなこと思ってないでしょう?」
「…どうしてそう思うんですか?」
「だって…」
一段と温度の下がった視線。
そんな目で心から言ってるなんて思えない。
それを言葉にはできなくて唇を結んだ。
彼はその一瞬の間にさりげない動作で私との間にあったファイルを取り去った。
私の、唯一の防御壁が。
「教えて下さい、中條課長」
ファイル一つ分の距離がなくなるだけでこんなにも違う。
ガタン、と背中が壁面の資料棚に当たる。
無意識の内に後退りしていたらしい。
顔を上げると7cmヒールを履いた私よりさらに10cmは身長の高そうな彼が私を見下ろしていた。
逃げ道を奪ったからなのか、口元は笑みを象っている。
ただ、私が話すまで言葉を発することも動くこともないとその目が言っていた。
「……あなた、私の兄と同じ表情をするのよ」
「…そう」
さっきと同じ、普段の様子からは想像もつかない低い声。
その顔を見てぞくりと背中が粟立つ。
危険だ。
本能がそう告げている。
彼は、見たことのない愉しそうな目で私を見ていた。
まるでブリキの人形になったような錯覚を感じるほど全身が強張る。
それを無理やり動かして、部屋を出ようとした。
実際は身体の向きを変えるまでもなく身動ぎした瞬間、資料棚に突いた左腕で道を塞がれた。
「中條さん」
その一言に動きが止まる。
心臓の鼓動が聞こえそうなほどに速くなる。
「まだ話は終わってないでしょう?」
「…もう私にはないわ」
「僕にはあります」
そう言って彼はもう一方の腕も資料棚に伸ばし、私を両腕の中に閉じ込めた。
姿を現した彼は私に見せるいつもの通りの好青年の笑顔だった。
「なんか、恥ずかしいとこ見られた気分です」
はは、と笑いながら、彼は私の足下に落ちたファイルに目をやるとそれを拾って埃をはたいた。
「落ちてますよ」
そう言って私にファイルを手渡すときの目に、さっきの一言が頭に甦ってビクリと肩が強張った。
「あ、ありがとう…ごめんなさい、拾わせて」
「一つ聞きたいんですが」
受け取ろうとしたファイルは彼の手に固定されて動かなかった。
「佐野、くん…?」
どくんと心臓が嫌な音をたてる。
「中條課長はどうして僕をそんな目で見るんですか?」
「そんな目って…」
私が聞きたい。どうしてあなたはそんな目で私を見るの。
まるで、狩りをする獣のような目で。
「いつも観察するような、探るような視線。感じるんですよね、僕に近寄りたくないって思ってる」
見透かされていた。
まさに考えていたことをそのまま告げられて、完全に肯定の沈黙になってしまう。
「僕は中條課長とも仲良くしたいと思ってるのに」
これのどこが好青年なの。
みんな彼のどこを見てるの。
「佐野くん、ほんとはそんなこと思ってないでしょう?」
「…どうしてそう思うんですか?」
「だって…」
一段と温度の下がった視線。
そんな目で心から言ってるなんて思えない。
それを言葉にはできなくて唇を結んだ。
彼はその一瞬の間にさりげない動作で私との間にあったファイルを取り去った。
私の、唯一の防御壁が。
「教えて下さい、中條課長」
ファイル一つ分の距離がなくなるだけでこんなにも違う。
ガタン、と背中が壁面の資料棚に当たる。
無意識の内に後退りしていたらしい。
顔を上げると7cmヒールを履いた私よりさらに10cmは身長の高そうな彼が私を見下ろしていた。
逃げ道を奪ったからなのか、口元は笑みを象っている。
ただ、私が話すまで言葉を発することも動くこともないとその目が言っていた。
「……あなた、私の兄と同じ表情をするのよ」
「…そう」
さっきと同じ、普段の様子からは想像もつかない低い声。
その顔を見てぞくりと背中が粟立つ。
危険だ。
本能がそう告げている。
彼は、見たことのない愉しそうな目で私を見ていた。
まるでブリキの人形になったような錯覚を感じるほど全身が強張る。
それを無理やり動かして、部屋を出ようとした。
実際は身体の向きを変えるまでもなく身動ぎした瞬間、資料棚に突いた左腕で道を塞がれた。
「中條さん」
その一言に動きが止まる。
心臓の鼓動が聞こえそうなほどに速くなる。
「まだ話は終わってないでしょう?」
「…もう私にはないわ」
「僕にはあります」
そう言って彼はもう一方の腕も資料棚に伸ばし、私を両腕の中に閉じ込めた。