真実の愛に気づいたとき。
小さい頃は、幼稚園や小学校でも上手くやっていたし、親友だって居た。


しかし、私が小学生3年生のとき、両親が交通事故で他界した。


一人っ子だった私は一瞬で家族を失ったことになり、"孤独"という闇に突き落とされてしまった。


そんな私を引き取ってくれたのが、母方の祖母だった。


父方の方は私が生まれる前に亡くなってしまい、頼れる存在は母方の祖母しか居なかった状況だったが、その祖母も私が中学に上がる前に病死してしまった。


完全にひとりぼっちになってしまった私は心を閉ざす生き方をしてきた。


良く言えば"自分の芯をしっかり持っている"という風にも捉えることができるだろうが、集団社会のこの国の、馴れ合いを好む高校大学では、私のような存在は毛嫌いされ、ハブかれる。


下手したらイジメの対象にもなってしまう。


心のどこかで寂しさを感じることはあるが、そのような感情を無理やり払い捨て、おひとり様が好きな孤高の女を演じてきた。


実際、一人で行動するのは苦ではない。


だけど、普通の子のように友達と遊んでいた時代が私にもあったから、時折その時代に感じていた楽しさや嬉しさを思い出すこともあり、虚無感に苛まれることもしばしば。


私の中のもう一人の私がこう問いかける。


『本当は友達が欲しいんじゃないの?』


それを否定する度に自分が虚しくなる。


本当の自分がどのようなものなのか、わからなくなってしまった。


友達と遊んでいたあの時の私も私だし、こうして一匹狼でいる私も私なのだ。


考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃしてしまうので、"自分の人生なのだから自分中心に生きよう、考えすぎるな、これの何が悪い"と同じゴールにたどり着く。


そうしてずっと一人で解決してきた。





私の悪評は先生たちの耳にも届いているのか、研究室に入ってきたゼミの先生が名簿の誰かの名前と私の顔を交互に見て、顔をしかめる。


結局大人も同じだ。


噂に左右され、自分が孤立しないように周りの目を気にしながら上手く組織の中で生きていかなければならない。


もう、誰も信用したくない。




「…じゃあ、全員揃ったところで、初回のガイダンスを始める」


先生はホチキス留めされた集めのプリントを最前列の学生に配っていく。


その束から一部取り、残りを後ろに回す。


その際、私の後ろに座っていた女子学生は冷たい目で一瞥し、奪い取るように私の手から抜いた。


手が抜き取られた形のまま、そのプリントがどんどん後ろに渡っていく様子をボーッと眺めるしかなかった。


静かに前に向き直り、先生の説明を聞くことに集中した。


友達を作ることが全てではない。


価値は人それぞれ違うものだ。



だから、私は大学生活でその"価値"を見出すことに決めたのだ。
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