その件は結婚してからでもいいでしょうか
先生はどうしたらいいのかわからないのか、怪訝な顔をしている。
「先生の描いてるところ、誰にも見せないでください」
「え?」
先生は驚いて声を上げた。「なんで?」
「だって」
美穂子は唇をかんだ。
自分のわがままだってわかってる。
本来、アシスタントなら誰だって見られるんだ。
でも、描くときのあの指を、独占したい。
先生は立ち上がり、机を回って美穂子の横へ来てくれた。涙で濡れた手を取り、それから指の甲で頬をそっと触る。
「なんで、泣いてる?」
美穂子は「指」と声に出した。
「指?」
先生は訳がわからず、自分の指を眺める。
「先生の指がペンを握ると、白い紙の上にどんどん物語が生まれていくんです。その指が好きで……」
自分で言っていて、よくわからない。
「指が好きなの?」
「指だけじゃないけど、なんていうか、すごくじわっとくるっていうか。指の魔法に、山井さんもかかったのかと思うと、すごく嫌なんです」
先生は美穂子の前髪を指ですくう。
指先が額に触れると、じわっとする。
美穂子は思わず目を閉じた。
「かわいいなあ」
先生が言った。
先生は美穂子のメガネを取ると、濡れたまつげをそっと触る。
美穂子の体が、びくんと震えた。