その件は結婚してからでもいいでしょうか

春が近づいている。

枯れ木には小さな蕾がついていた。風で枝がかすかに揺れる。

エントランスから外に出ると、先生は「うーん」と伸びをした。

「外に出るのは、一週間ぶり、かな」
「そうなんですか?」
「『意地悪ハニー』のときに、コンビニへちょっと行ったぐらい。気づけば、春だな」

二人は並んで歩く。

「目黒に引っ越してきたとき『おしゃれなカフェとか行くのか、俺?』とか思ったけど、行かないね」
そう言って笑う。

「先生は出身どこなんですか?」
「埼玉」
「結構近いじゃないですか」
「でも田舎。埼玉でも奥の方だから」

先生はきょろきょろと周りを見て「ずいぶんカップルが多いな」と言った。

「そうですか?」
「まあ、俺もデート中だけど」
「デートじゃないですよ」

スパンと否定した。

先生が首をすくめる。

意外と近いところに、画材専門店はある。マンションから徒歩十五分くらいのところ。
小さな店構え。パッと見は文房具屋だが、入ると品揃がいいのがわかる。

「いらっしゃい、桜先生」
店主の丸メガネをかけたおじさんが、愛想よく挨拶した。

「お世話になります」
先生はにこやかに頭を下げた。

「先生」
「何?」
「先生の正体を、この方はご存知なんですか?」

美穂子は驚いて尋ねた。

「長い付き合いなんだ。少女漫画に転向するときに、画材とかの相談したから」
「なるほど」


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