その件は結婚してからでもいいでしょうか

どきどきどきどき。

男の人の指に目がいく。
わたしのよりもがっしりしてて、わたしのよりも長い。
あの指が、ペンを握り、魔法を使う。

「美穂ちゃんの友達、おかしいな」
部屋に帰ってきて、先生が言った。

「あれはわたしの友達じゃないです」
語調がいつもより強くなる。声を張っていかないと、すぐへにゃへにゃっと崩れてしまいそうになるから。

「なんだかもったいないです。あんな気軽に直筆の絵をあげてしまうなんて」
美穂子は先生の指から、意志の力で目をそらす。

「そうかな。でも太宰くんがどうしても美穂ちゃんと心中したいって、うるさいからさ。あんな一枚で諦めてくれるんなら、いくらでも書くよ」

先生は「さてと」と声を出す。

「仕事するかな」
手首をぐるぐる回して、指を組んでぎゅっと伸ばす。デスクに座って、買って来た画材を取り出した。包装紙を破き、無頓着にデスクの上や床に散らかしていく。

美穂子はそれを無言で拾って、ゴミ箱に捨てた。

「あ、ありがと」
先生が微笑んだ。

美穂子は軽く頭をさげると、自分の部屋へと入る。それから重いカバンをどさっと床に下ろすと、自分もへたり込んだ。

まずい。
すごくまずい。
これは緊急事態、だよね。

美穂子はスケッチブックとペンを取り出した。さっき先生が触っていたペンを握ると、お腹のあたりが疼く。

美穂子はスケッチブックをめくり、描き始めた。



< 60 / 167 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop