君とゆっくり恋をする。Ⅰ【第1話 〜第5話】(短編の連作です)
「…あ!この花。私、この紫陽花のこの色、とっても好きだったの」
と、結乃は立ち止まり、高校生の頃を思い出しつつ、あの時と同じ眼差しでその花を見つめる。
そんな結乃を傍らでジッと見守りながら、敏生は思わず呟いた。
「……うん。知ってたよ」
でも、その呟きは本当に微かで、二人を取り巻く雨の音に消されてしまい、結乃の耳には届かなかった。
それきり、二人の間にはまた会話がなくなった。往来する車の音だけが、潮騒のように繰り返される。会話の代わりに胸の高鳴りだけが、どんどん大きくなっていく。
――今が、『好き』って言うべき時なのかもしれない。
その思いが結乃の中に生まれた。
――なんて言えばいいの?『好き』って言うだけで、解ってもらえる?
だけど、まだ結乃には、気持ちの準備もできていなければ、勇気も充填されていなかった。
それに、敏生にはもう既に好きな人がいるかもしれない。好きな人がいなくても、女性に関心がない敏生は、結乃のことも対象として見てくれないかもしれない。好意を抱いているなんて知られてしまうと、敬遠されて、もうこうやって話をすることもできなくなるかもしれない。