君とゆっくり恋をする。Ⅰ【第1話 〜第5話】(短編の連作です)
結乃は思い切って、敏生に目を合わせ、
「…あっ!」
と、たった今、敏生の存在に気づいたような素振りを見せた。
けれども、敏生の方はまるで無反応だった。結乃に向けられた敏生の目つきは、見知らぬ人間に対するものだった。
懐かしく思い出してくれるどころか、不審さを漂わせる敏生の表情に、結乃の勇気も挫かれてしまう。軽く会釈をするのが精いっぱいで、そそくさと敏生の視界から逃げ出した。
それが、3年前の出来事。
それ以来、結乃は敏生と言葉を交わすどころか、目を合わせた覚えもない。総合職として入社した敏生は花形の営業1課、一般職の結乃は総務部に配属され、同じ会社にいるというのに、まるで接する機会がなかった。
たまに、彼の姿を見ることができるのが、社員食堂くらいのもの。この時ばかりは、「一緒の会社にいるんだ~……」と感動はできるけれど、ただそれだけ。
結乃は、同じ高校出身という利点も生かせず、他の女子社員と同様、敏生を遠くからあこがれの目で見つめていることしかできなかった。