君とゆっくり恋をする。Ⅰ【第1話 〜第5話】(短編の連作です)
受け取った結乃からは、しばらく言葉が出てこなかった。言葉の代わりに、涙が滲んで瞳の中で光っている。
「ありがとう…」
やっとのことで、結乃がその一言を絞り出すと、敏生もやっと安心して、満ち足りた微笑みを浮かべた。
「それじゃ、これで。こんな寒い所に長い間いたら、風邪を引く」
「…芹沢くんこそ、寒かったでしょう?中へ入って、温まって行って?」
結乃のその誘いに、敏生は少しぐらついたけど、首を横に振った。
結乃の家は、高校生の時から変わっていない。今も家族と一緒に住んでいるはずだ。
「こんな遅くに見ず知らずの男が上がり込んだりしたら、君の両親はきっと卒倒するよ」
そう笑って言いながら、敏生は結乃に背を向けて歩き出す。
結乃がずっと見送ってくれているのは気が付いていたけれど、振り返らなかった。自分が早く姿を消さないと、結乃も部屋へは入れない。
曲がり角を曲がって、結乃の視界から消える場所まで来ると、敏生は立ち止まって、ホッと息を抜いた。
大きな目的を成し遂げられて、大きな安堵と達成感に包まれていた。