言わなくても気づいてよ…!
キス
「今日は早めに帰るね。」
俺は蘭ちゃんにそう言うと、大学を後にした。

蘭ちゃんとつき合うことになってから数日たっていた。
あの告白の後の帰り道、情けないことに蘭ちゃんからの申し入れで手を繋いで歩いて帰った。
二人の間で決まったことがいくつかある。
1日一回は、電話かメールでのやりとりをすること。
呼び方も名字ではなく、名前呼びすること。

女の子とつき合うことは初めてではなかった。
こんな俺でもいいと、何度かつき合うことはあった。
それでも、つまらない奴だと離れていくばかりで…蘭ちゃんともそうならないとは思ってない。
ただ蘭ちゃんに嫌だと思われるまでは一緒にいるつもりだ。

今日は久しぶりに彼女の家庭教師の日だった。
早めに大学から帰り、彼女の苦手なところを自分なりに分かりやすく解説できるように予習するつもりでいた。

俺がちょうど家の辺りまでいくと、見たことのある制服と見慣れない男子学生の姿があった。

あれは彼女の家の前で、見たことのある制服は彼女だと気がついた。

「りー兄!!」
彼女は俺が彼女だと気づくのと同時くらいに叫ぶように名前を呼ばれた。

「もう、早く帰ってよ!!私、忙しいんだから。」
「なんだよ!!その言い方。調子にのんなよ!!」
売り言葉に買い言葉で二人は俺の目の前で喧嘩を始めた。
髪を茶髪に染めた彼は、後ろから見ていても今時な感じで、並んで歩けばきっとお似合いの二人なんだろうと思う。

口喧嘩をやめない二人を見ていると、苛立ちから彼が彼女の肩を弾き飛ばした。
「おっ、おい!それはダメだろ。」
俺は咄嗟に彼の腕をつかんでいた。

彼女が細い肩をさすりながら、俺の後ろに回り込んだ。
「早く帰って。じゃなきゃ、私たちが帰るから。」

彼女が俺の腕を後ろから引っ張り、自分の家ではなく、俺の家に入っていこうとする。

「まだ話は終わってないんだからな。また連絡するから、無視すんなよな!」
負け犬の遠吠えの様な台詞を彼は言って、家のドアの奥に消えていった。

どこまでのことを聞いて良いものか、わからず黙っていた。

「理斗~!?帰ったの?」
部屋の奥で母の声がする。

「うん、ただいま。やることあるから、二階にいるよ。」
リビングにいるであろう母に向かってそう叫ぶと、彼女に目だけで二階へ上がるように指示する。

彼女が我が家の俺の部屋に来ることなんて何年ぶりだろうか。
場所が変わっていないとはいえ、彼女にわかるのかどうか心配したが、何も言わなくても俺の部屋のドアを開けていた。

「わ~、りー兄の部屋だ~。変わってな~い。」
ちょっとしたテンションの上がりぶりを愛おしく感じていた。
「変わってないわけないだろ。いつぶりにきたと思ってるんだ。」
俺は反論してみせた。

「変わってないよ!本棚の位置も机やベッドの位置も全然変わってない。」
確かに、物の配置はしばらく前から変えてない。
彼女に言われて気づくなんて…

窓の外に目を向けるとちょうど玄関先が見える。
そこにはもうさっきの彼の姿はなかった。

少しの沈黙の後、俺は何気なく口を開いていた。
「…彼氏かなんか?」
言ってしまってから後悔がおそってきて、されげなく口を押さえるように鼻をつまんだ。

「違うよ!!」
そんなに全力で否定しなくてもいいのにと思うほどの勢いで返事が帰ってきた。
鼻に当てた手を下ろしながら、どことなく安心したような気分で彼女の方へ向き直した。

俺が彼女に視線を向けたのに、彼女は逆に目をそらすように体を窓の方に向けて俺を避けた。
「…元彼なの…」

安心した気持ちが、またモヤモヤと変な感情に飲み込まれていくような気分だった。

「…そっか。」
あぁ言うのが好みなのかと言いたくもない言葉が出てきてしまいそうで、口元に手をもどしたくなる。

「こんな話やめよ!りー兄には恋愛の話は難しいでしょ!?…なんてね。」
無理に作った笑顔で誤魔化そうとしていたんだろう。
でも、それよりも先に言われた事への反発心から余計な事を口走っていた。

「俺だって、彼女も出来たし。恋愛もしてるよ。」
彼女の顔が一瞬にして変化した。
俺も思わず、固まってしまった。

別に隠そうとしていたつもりはない。
でも、つい最近の出来事で彼女にも恋人がいないと話したばかりなのに、これでは嘘を言っているみたいだ。

「…嘘!だって、この前いないって言ってた!!」
子供が駄々をこねる様な声で彼女は言った。
そう言われても仕方がない。

「つい最近、付き合うことにしたんだ。この前、会っただろ?青井蘭さんだよって。」
彼女は頭の中にこの前会った蘭ちゃんの顔を思い浮かべるように、一瞬上を向いた。

「つい最近っていつ?まだ間に合うから、謝って断って!?」
彼女は、俺にすがるように両腕を掴んで懇願する。

「いや、無理だよ…そんなこと出来ないよ。」
彼女の今にも泣きそうな表情に、俺はうろたえるしかなかった。

「じゃ、聞くけど…その人のこと、本当に好き?」
俺は彼女の言葉に凍りついた。
俺は即答できなかった。
付き合っていたら当たり前のことなのに、好きだと言う事ができなかった。

「ほら!!やっぱりそんなのダメだよ!まだ間に合うから!ね、お願い!」
ふと我に返った俺はすぐに反論していた。

「いや、好きだよ。じゃなきゃ付き合ってないだろ?いい子だよ、花菜も仲良くしてみたら分かるよ。」
言い訳するように早口でムキになって言っていた。

「いい子だからとか関係ないの…本当に好きな人じゃなきゃ付き合っちゃダメなの…なんで…分からないの?」
彼女の声がだんだん小さくなっていき、彼女の顔もどんどん下を向いていって表情さえも見えなくなっていく。

なんで?なんで?を繰り返しながら、うつむいていく彼女に胸が痛くなる。

腕を強く握られていたのにいつの間にかその力さえも弱々しくなっていった。

「…花菜?」
彼女の表情が分かるように、逆に彼女の細い腕を掴んだときだった。

弱くなった力が俺の腕を引っ張ってより彼女に近づいた。
その瞬間に彼女が顔を上げ、目をつぶった。

展開の速さに俺は目も潰れなかったし、動けなかった。

彼女が俺の口に唇を重ねていた。

目をつぶった事で彼女の目から堪えきれずに涙が流れた。
驚き以上に胸が潰れそうな思いが押し寄せた。

固まる俺を彼女は突き飛ばし、部屋のドアの前に逃げるように小走りする。

「りー兄の馬鹿。」

俺に顔を向けることなく、部屋を出ていった。
俺は動けずに呆然と立ち尽くしていた。
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