あなたの声が響くとき
私はやっぱり、弱虫だ。
後先ばっかり考えて、自分の気持ちが分からなくなる。
暗い過去と、希望の見えない未来。
吹奏楽が私の生活から消えて、まるで燃え盛っていた炎が風に煽られて消えるように、何も見えなくなった。
暗闇で、もがく事を諦めた。
向き合うことも辞めた。
すべてが無駄で、何をしても無意味に思えた。
でも、何かが、真っ暗だった私の世界に一筋の光のように響いたとき。
私はもう一度思い出した。
音楽をやる楽しさ、わくわくする気持ち。
自分の理想の音を追い求めた日々が、私の中に戻ってきた。
暗闇から私を引きずり出したのは、他でもない、彼の音。
とっくの昔に失くしたと思っていた炎が、少しずつ小さく灯り始めた。
音楽を通して彼を知れたことも、私は嬉しかった。
言葉は不器用でもきっと嘘は言わない人。
自分の気持ちに何より正直で、道を見失わない人。
音楽に真っ直ぐ向かう背中を、いつまでも見ていたい。
その背中に導かれて、いつの間にか自分の気持ちと向き合えるようになった。
だから、会いたい。
私を救ってくれた東条くんに、謝りたい。
廊下を駆け抜けると、背後で掲示板に貼られたお知らせが、かさかさと揺れる音がした。
私、また走ってる。
あんなに臆病で足踏みばっかりだったのに。
一回彼の音が聞こえたら、どうしても足が音に向かう。
残り一段を飛び越えて、いつもの教室のドアを勢いよく開けた。
「はぁ、はぁ……っ、私も、」
東条くんは、こちらに背を向けて、窓の方を見ていた。
派手に音を立てて開いたドアに驚いたのか、私の言葉に反応したのか、その背中がぴくりと動く。
乱れた息を整えるために、深呼吸をして、
「……っ、私も、叩いて、ごめんなさい」
やっと、伝えられた。
東条くんが振り返る。
それに合わせて、光を反射したトランペットが煌めいた。
色の白い顔には初めて見る表情が浮かんでいた。
どこか寂しそうな、でも少し嬉しそうな、そんな複雑な表情。
「……俺は、喋るのが得意じゃない。遠回しに伝えるとか、オブラートに包んでとか、小さい頃から苦手だった。
……だから当然、友達もいなくて…親もそんな俺を厄介に感じてたんだと思う。
でも父さんの知り合いのトランペット奏者の人が、そんな俺に優しくてくれたんだ」
東条くんの表情が、複雑そうな色から、優しくて柔らかいものへと変わっていく。
「小6のとき、トランペットを貰ったんだ。親は断ろうとしたんだけど、その人は、俺にどうしたいか聞いてきた。俺が、正直にやりたいと言えば、それなら応援すると言ってくれた。
その人の背中がとても頼もしくて、それから毎日練習した……」
彼は、自身のトランペットを愛おしそうに撫でた。
愛器も答えるように光った。
「もしかして、それがその時の?」
「ああ。もうすぐ6年になる」
聞いたことが無いほど、優しい声で彼は言う。
トランペットを吹く彼のルーツは、私と同じように、一人の人からだった。
「トランペットを吹いている時の方が、何もしていない時より楽になった。トランペットなら、誰も傷つけずに感情を表現できる。だからもう、この音が俺の声みたいなものなんだ」
言い切ると東条くんは私を真っ直ぐに見た。
その眼差しは、今まで見た中で、一番優しくて、不覚にもどきりとしてしまう。
瞳は、初めて見た時と変わらず、むしろ、その時よりも更に輝いて見えた。
そして瞳に浮かんだ少しの罪悪感も綺麗に見えた。
「ありがとう、分かってくれて。何も知らないのにあんな言い方して、悪かった」
校門で聞いた彼の音は、謝罪だとすぐに分かった。
あの音は、まるで声のように私に彼の気持ちを伝えた。
後悔の気持ちと、謝罪の意思を。
声のようにではなくて、声そのものだった。
「ちゃんと聞こえたよ。東条くんの声」