あなたの声が響くとき



つい、口をぽかんと開けたアホ面で固まってしまった。

彼はというと、トランペットを下げて、こちらを振り返った状態で固まっていた。

私は、ただ一点を見つめた。

耳が痛いほどの沈黙なんて、気にならない。


初めて見た。

彼の瞳。

不純物のない、真っ黒な瞳。

ただ綺麗だった。

どんな言葉で表しても、表しきれないくらいに、綺麗だった。

言葉で飾ることでさえ、憚られる美しさ。


人は、初めて見るものに出会うと、言葉を失くすのだと、この時止まった時間の中で知った。


そして私は、少しずつ気がついた。


「……あ、」


もう後には戻れない。

弱虫な私はやっと、覚悟が出来た。

ドアノブに掛けた手に力を込めて、左に滑らす。

たったそれだけの動作に、激しく気力を消耗した。

そして私はついに、一歩、また一歩と、彼の世界に足を踏み入れた。

ようやく彼から1.5mほどに到達してから、何か言わなくてはと、言葉を探す。

自分でも目が泳いでるのは分かっていた。


「あの、ごめんな、さい…盗み聞きなんて…」


まずは謝罪だと、乾いた口から乾いた謝罪の文句が漏れた。

どうか分かって欲しい、その思いを滲ませて。

でも、盗み聞きの理由を言わなくてはいけない気がして、またもフリーズした。

だって、理由もなく盗み聞きなんて…私がそんな趣味の人みたい。。

でも、たった2文字があまりにも、くすぐったくて恥ずかしい。

数秒、数分、分からないけれど、しばらくの間は口の開け閉めに費やしてしまった。

こんなことをしている場合ではない。

だって、とっても大事な個人練習の時間。

もう、私が恥ずかしいとか言いづらいとか、そんな都合で逃げちゃダメ…!

ぎゅっと、目を瞑ると、息を吸い込んだ。


「あなたの、音が…何と言うか…その、す、好きで…」


言った…!言っちゃった…!!


耳の後ろ辺りがとてつもなく熱い。

鏡を見なくてもわかる。
私は見る見る赤くなっていってるのだろう。

お腹の前で無意識に組んだ手は、気がつけば握りしめていた。

体の全てが強張って、どうしようどうしようって脳内は大慌て。


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