あなたの声が響くとき



東条くんは、迷惑だと言っていたのに、教室を出るまで何も言ってこなかった。


教室を出るとき、身支度を始める彼に、恐る恐る問いかけた。


「これからパート練…ですか?」

「そうだけど」

「あの…明日も、ここで、やってますか?」


見上げた東条くんは、一瞬、本当に一瞬、イヤそうな顔をした。

具体的に言うと、眉間に谷間が……

やっぱり、見に来られると迷惑だよね…

そうヘコんでいると、小さくため息が頭上から聞こえた。

無条件に肩が跳ねた。


「はぁ………もう好きにすれば」


面倒くさそうな低い声の後、足音が遠ざかっていった。


私は、その場から動けずにいた。

だって、それって………


「やったぁ……!」


一拍、いやむしろ一小節空けて、私は飛び上がった。

毎日のように彼の音が聞ける、それが嬉しくて、小さくガッツポーズまでしてしまった。

夕暮れせまる学校の廊下。
スキップしそうなほど、浮ついた心で自分の教室に戻った、水曜日の放課後。



それからと言うもの、土日を覗いた毎日、放課後は同じ教室で、彼の演奏を聞いていた。


私は、かなり日頃のテンションがおかしくなった。

授業中に自然とニヤついてしまったり。

お昼休み、音楽を聞きながら、気がつくと手がトランペットのピストンを押すように動いたり。

四六時中、放課後のことを考えては、彼のトランペットの音が脳裏を染める。

東条くんが出て来る以外は、中二以前の私みたいだった。

吹奏楽、トランペットのことだけを考えて過ごしていた幸せな日々。

始めは少し戸惑いがあったけれど、受け入れることにした。

過去の記憶を閉ざした扉が、自由になりたい過去に押されて暴れていた。

でも私は、後先ばかりを考えて動かないのはもう辞めたから。

今の自分の気持ちに正直に生きようと、決めた。



次の週の火曜日、珍しく話しかけてくれた東条くんは、曲の練習中にこんなことを言ってきた。


「……今から吹く5小節、聞いてて」

「…あ、うん、わかった!」


メトロノームが、カチカチとテンポを刻む合間、私はなんとか返事をした。

彼から私に話しかけるだとか、ましてや頼むだとか、そんなことはこの1週間ゼロだったから。

本当に驚いていた。


すっ、という勢いのあるブレスの音。


そして滑らかに落ち着きを保つ音程。

走ったり詰まったり、逆に遅れることもないテンポ。

温かい息で吹けている。


基礎練から気を抜かない彼は、基礎がばっちり固まっていて、揺らぎがない。

それが、曲にも良く出ていた。

本当に、東条くんはどこまでも理想的な奏者だ。


思わずため息が漏れた。


あの音は、彼の確かな技術力に裏打ちされた物だった。

楽しく自分の思うように吹けるようになる為には、普段からの地味な基礎練が一番大切で、それは何処に行っても変わらない。

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