あなたの声が響くとき
たまに聞こえる不安定な音は、たぶん、これからの練習で改善されていく。
「…どうだった?」
「……やっぱり、本当に素敵な音だった」
余韻を楽しみながらうっとりと答えると、冷ややかな目線が返って来た。
「違う」
「っえ、違うの?」
「……葛西の言葉は為にならない…そうじゃなくて、ダメだったところ」
為にならないって……褒めることも大事だよ!
ちゃんと褒めてあげなきゃ、自分の演奏が合っていても、上手く出来ていても、分からないんだもん。
…でも、ダメなところかぁ……
「……えーっと……、楽譜見せて貰ってもいい?」
「…あぁ、」
頷く東条くんに、隣の椅子に座って譜面台の楽譜を見る。
ここまで東条くんに近付いたのは初めてで、少し緊張しながら、件の5小節を見た。
「えっと、ここかな。ここのピッチが微妙だった」
「はいっ」
吹部ならではのいい返事が聞こえて、意外で、つい彼の方を向いてから後悔した。
……い、意外とっ、ち、ちち近い…っ!?
意識しだすと本当に近くて、固まってしまった。
あの瞳は、近くで見ても本当に澄んで綺麗だった。
曇りのない、真っ黒な宝石。
吸い込まれそうな感覚。
時間が、止まる。
…でも、その少し上の眉間に少しずつ、でも着実にどんどん深く刻まれる谷間に気がついて、慌てて顔を正面に戻した。
「……っあ、あとは……」
指摘を終えると、メモしながら、東条くんは聞いてきた。
……よりにもよって、私の痛いところを付く質問。
「…葛西は、経験者?」
「……あ~うん、そうだよ」
少しだけ、ほんの少しだけ無理して微笑んだ。
これは、隠そうとしない私が悪い。
だから、何も知らない彼を責めることなんて、出来ないし、したくない。
たとえそれが、触れられたくない場所だとしても、それは私の問題だから。
……まだ、知られたくない。
私がこんな最低な人間だなんて。
ましてや、今、こうして音楽に関わる資格なんてない人間だなんて。
東条くんには、知らないでいて欲しい。
ズルい私は、それ以上何か聞かれる前に、立ち上がった。
「私、用事思い出したから、今日は帰るね」
彼からの返事を聞く前に、逃げるように教室を出た。