スプーン♪
「何だ、これ」
「先生ってヒゲが超ワイルドだね。きゃ」
岩崎先生はプライベート・ショットだと、マユに携帯で撮られ、「先生、オフはオッサンくさいね」と、サトちゃんにゲラゲラと笑われ、「萌え~」とばかりに眼鏡までも盗られ、「度が強すぎる。これ人間?」と疑われて。
「やっぱ行くワ」と立ち上がりかけた所を、マユに強引に腕を引っ張られ、先生はその場に不格好に転んだ。そんな岩崎先生がワイルドどころか……遊ばれて哀れなオジさんに見えちゃうよ。
「先生、可愛い。きゃあ」とマユは大喜びで転んだ岩崎先生にもつれている。
呆気に取られた。気のある事を、堂々と隠しもしないなんて。
本人の前で恥ずかしくないのかな。私には、岩崎先生を可愛いなんて、どうしても思えない。マユみたいに体に触れるあたりは、もう奇跡に近い。
「おまえらは食わないの?」
思わず半分隠していたお弁当を、また広げた。
「お、美味そうだな」
先生の目は、ハンバーグと栗ご飯に釘付けだ。
「引っ越してから朝食べなくなったよ。そんな時間あれば寝ちゃってるしな。そういや夕べ、何食べたかな」
岩崎先生が淡々と言う。その全てが人間として信じられない。先生は、ついさっき顔を洗ったばかりのような石鹸のレアな匂いがプンプンだった。外に出る前にとりあえず顔は洗ってヒゲだけは剃った、という出で立ちである。
「そう言えば昨日……風呂入ったかな」
そんな岩崎先生のグータラを聞いて、「やだぁ!」とマユは手を叩いて喜んだ。サトちゃんも、私もドン引き。何の断りもなく、栗ご飯を一口つまんだ所で、まるで時間が止まったみたいに岩崎先生は固まった。お世辞にも美味しいとも言わない人なのかな。それとも、まだ寝とぼけてんのかな。
そこで先生は大きなクシャミを一発、それでやっと目が覚めた様子で、栗ご飯を再度、口に運んだ。
「何だ、これ」

先生の第一声に、こっちは一瞬、まさか味付けを間違えたかとヒヤッとした。
次の瞬間、岩崎先生は凄い勢いでご飯に襲い掛かる。
「うめーっ!」
お客として……地獄的に、ちょろい人。
〝そうでもない。お子様の味〟と決め付けられた事を思い出して、こっちは勝利の雄叫びを上げたくなった。栗ご飯はアッという間にドンドン消えていく。コンビニ飯をそっちのけ。岩崎先生は襲いかかるように喰らい付いた。先生だけではない。サトちゃんもマユもよく食べる。ハンバーグはもう無い。
……足りるかな。
不安になってきた。慌てて別のカバンから梅干おむすびを取り出して並べた。それは、偶然持ちこんでいた、今口家の残りメシ。岩崎先生は目ざとく見つけておむすびを勢いよく掴んで……その手にフォークの一撃を加えたくなる。
「これはメシ自体が普通じゃないな」
「分かりますか。今年の新米です」
「冷メシなのに、ちゃんと美味いよ。な?」
2人とも食べる事に夢中で、返事を忘れている。岩崎先生のグルメレベルは、侮れないかもしれない。ご飯は冷めた時にその真価が問われる。古い米は冷めると糠臭さが際立つから。意外と味の分かる人かな。ふと気がつけば、マユが、勝手に先生のコンビニ昼食に手を出していた。きゃっきゃっ、言いながら。
腹八分目の頃合い、お箸を置いたサトちゃんは、「先生は、何で先生になったの?」と聞いた。
「簡単に言うと、稼ぐため」
「ふーん。でもそれなら学校より塾に居るほうが儲かるんじゃん?」
「そうでもないよ。今は経験値を稼いで、いつかガッツリ稼ぐための修行中」
私はそれを聞きながら、根本的に違う種類の人間だと改めて思った。
私は料理で一瞬でも誰かを幸せにしたいと思っている。先生は教師でお金を稼いで自分がいい思いしたいだけ。
「ガッツリ稼いで何に使うわけ?結婚資金だったりして」
「この塩加減が絶妙だな」
話がまた彼女の事に戻りそうになって強引に切り替えたな。それが見え見えだった。岩崎先生が美味しそうにおにぎりを口に運ぶのを恨めしく斜めに見る。
「家近いんですよね?何でわざわざ独り暮らしなんかすんの?」
「親がウゼーんだよ」
岩崎先生の乱暴な物言いに免疫の無かったマユとサトちゃんは、また一瞬ギョッとして……既にご承知の自分だけが冷静だった。少し引いている2人を尻目にパクパクと食った。
先生の言ってる事はウチの兄貴と大差ない。大人気ないと呆れる。家を飛び出た結果、ご飯も食べず風呂も入らずのグータラでは、親だって呆れるだろう。
そこで、授業で泣いたアユミの話題になった。
「そのアユミさ、先週から栄進塾に行ってるって聞いたんだけど」
サトちゃんに言われて、それは初めて聞いたと驚いて返せば、
「それ、僕が紹介したんだよ」
それこそが1番に驚いて、私は目を剥いた。

岩崎先生は、自分が今も働いている塾がどれだけ優秀かをブチあげ始める。
効率の良い勉強法、カリキュラムの充実、卒業生の輝かしい功績、そんな自慢話を聞きながら、私は栄進塾に通い始めたアユミの事を考えた。アユミはいつかの選択授業で、泣くほど嫌な思いをした筈だ。それなのに自分から地獄に飛び込むような真似をして……課題が大変と言いながら、いつのまにか岩崎先生を好きになったマユと重なる。
「アユミは部活も大変だし。バイトだってやってるし。塾まで入って、大丈夫なのかな」
「そうだよね。放課後フリーな光野さんと違ってさ、あの子、部活と両立はちょっと無理があるよ」
マユが、何故かここに至っては気持ちよく、こっちに同意した。もしかすると、塾にまで入り込んだアユミを光野さんと同様、岩崎先生に取り入ったと誤解して、何処かで嫉妬しているのかもしれない。
いつだったか授業で泣いた別の女子を、男子が慰めたという話題に及んだ。
「どんなに可哀相でも、ヘタに庇ったりしない方がいい」
岩崎先生は厳しい顔つきだった。
「どっかで同じような事は必ず起こるんだから、自分が強くならないと」
アユミは岩崎先生に塾を薦められて、断れなかったに違いない。
もしかしたら……強くなろうとしたのかもしれない。
強く鍛えられる前に、無理をして壊れてしまう人だっていると思う。
「大体、そんな心の隙間に取り付こうとする男に、碌なヤツはいないから」
そう言いながら、岩崎先生はサツマイモの天婦羅を手でつまんだ。
おまえだ。碌でもない奴は。
「それ、今季最高の出来です」
どうしても言いたかった。これだけは。
先生は、「だろうな。ちゃんと塩が振ってある。うまい」に続いて、「秋はやっぱり、イモ栗カボチャだよな」と、そんな分かったような事を抜かしてくれるけれど、キノコはどうした?
ふと、思った。
うまいと言われたのに、嬉しい気持ちがちっとも湧き立たない。
こんなの初めてだ。それほど……授業が重く圧し掛かっているとしか。
岩崎先生は、「それ、何?」と本日のデザート、栗のモンブランを目ざとく見つけて、マユから引き出した。
スプーンでぺロリと1個を軽く平らげる。「栗って、皮剥くのが大変なんだよね」とマユがまるで自分が関わったかのように言えば、「大変だったのは、あんたじゃなくてメグでしょ。反省しろ」と、サトちゃんが、ぷちギレして突っ込んでくれた。「メグ?」と岩崎先生が聞き返せば、待ってましたとばかりに、「このランチ、全部そこの今口さん作製で~っす」とマユが高らかに声を上げて。
絶妙だった。
私は、すくんでしまった。
驚いた先生の視線が、真っすぐ、こっちに突き刺さる。
「今口なの?これ全部?全部?」
岩崎先生はあんまり驚いたのか、スプーンを落としてしまった。それに気付きもせず、「全部?メシも?全部?マジで?」と、しつこく繰り返した。
それは、今度こそ答えを本気で聞きたい質問でしょうか。
数学の問題に答えられない、追試〝特〟の今口メグミは、勉強以外、こんな事ばっかりやってる今口メグミなのか……そう言ってる目に見える。
何だか弱みを握られたような気分になった。
マユは、毎日のお弁当を私が作っている事を晒して、
「全部、メグなんですよ。もう、毎日ご馳走ですよ。凄くないですか?」
続けて、3組での文化祭の模擬店の話をブチあげた。岩崎先生は、「何かどっかで聞いたなそれ」と遠い目をする。光野さんと波多野さんの2人から誘われたらしい約束を、もう忘れているのだ。はい最低。碌でもない奴、決定。
「メグが居たら、3組は間違いなく3ツ星レストランですから」
もしかしたら、マユはお弁当のお詫びのつもりだったのかもしれない。お義兄さんにも負けない、照れくさいばかりのホメ殺しだった。
「も、もういいよ」 聞いてるこっちが恥ずかしくなるから。
「ねぇ、先生。文化祭ん時なんだけどさぁ、ご飯一緒に食べない?先生の分、取っとくからさぁ」
そう来たか。サトちゃんと目が合った。頷き合う。〝当日、修羅場だね〟。
「そういう約束はしない」と突っぱねた先生の腕を取り、それをマユは揺さぶりながら、「だったら3組を手伝いに来てくださいよぉ~」
危うく、お茶を吹く所だった。当然というか、岩崎先生に手伝わせる気なんか更々無い。「そういうことは男子も居るんだし」とマユの暴走を慌てて抑えた。
「ぽーぽぽぽ。健太郎かぁ」
「そう、健太郎だよ。こういう時頼りになる、坊主頭の健太郎クンだよ」
岩崎先生を嫌がる気持は、イジられてあれほど嫌がった健太郎を自分から引き合いに出すほどだったのか……サトちゃんはそう言いたげに唖然としている。
「そう言う事なら、いっかな。手伝うよ。うん」
え。
「非常勤だけど文化祭は手伝えって、倉田にもクギ刺されたし」
準備が大変だろう……倉田先生の優しい言葉が、悪魔の囁きのように甦る。
「やりー!」とマユは狂喜乱舞した。「先生がメガネの執事なら、あたしはメイドになろっかな」と、サトちゃんがポーズを取って見せる。私が、「メイドのコスプレでヨーヨー売るの?」と突っ込むと、マユは、キャハハハ!と1オクターブ高い声で笑った。このまま〝あー、面白かった!〟で話が流れてくれる事を祈った。マジで。
「演劇部を手伝えとか言われたんだけど、こっちの方が見返りが良さそうだ」
いつの間にか、岩崎先生はモンブランをまた1つ取り出して、スプーンですくっている。スプーンてんこ盛りの見事なガッツリだ。
私、今ならプールに突き飛ばせる(かも)。
「先生、それ何個目ですか!」
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