溺愛執事に花嫁教育をされてしまいそうです
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化粧を直し終えて、パウダールームを抜けて、
そのまま席に戻ろうと、カフェ内の通路を歩いていた時、
ふと聞き覚えのある声が聞こえた気がして、
ありすは咄嗟に衝立で仕切られた奥を
覗き込んでしまった。

「……だから何度も言っているが、
兄の件は関係ないんです」
どこか冷たいあきれきった声。
そんな声なのにその正体をありすは知っている気がした。

「ふぅん、そうなのかしらね。
でも、貴方が橘家の資産を相続することは、
既に決まっていたことだし、
あの人の十三回忌を機にきちんとする、
という事になっていたはずよね。

なのになんでそんな大事な時期に、
道楽みたいなことを、しているの?」

橘、という名前に引っ掛かりを覚えて、
はっとありすは足を止めた。
咄嗟に衝立の向こうに向い合せに座っている人の
顔を見て、思わず声をあげそうになる。

(──橘……さん?)
それはありすの家の臨時の執事をしている橘だった。
普段の執事姿の時とは全く雰囲気の違う、
かっちりとしたスーツ姿で、
目の前の女性をふてぶてしい様子の表情を
浮かべ見返している。

(本当に……あの人、橘さんなのかな)
鋭い瞳で目の前の女性をにらみ様子が、
ありすのしっている橘とは全然違いすぎて、
思わずまじまじとその様子を見つめてしまう。

「……その件は、貴女には関係ないはずです」
そのセリフに彼の前に座る彼より少し年上の女性は
すぅっと瞳を細める。

「関係ないわけないでしょ。
私にとっても重要よ。
とにかく、貴方が私と結婚すれば、
相続上の問題は一切なくなるんですもの。

橘の資産を守るために、という事だけよ。
別に貴方が結婚後、
誰とどういう遊びをしても構わないわ。
私も恋人ぐらいは別に作るし。

とりあえず便宜上、結婚って契約の形を
とれればいいの」

そのセリフにありすは完全に足を止めてしまった。

(橘さんが……結婚するってどういうこと?
しかも相手の人は、別に橘さんの事、
好きでもなんでもないみたいな言い方……)

次の瞬間、女性はテーブルに手を付き、
顔を彼の方に寄せる。

「──っ」
女性は当然のように
綺麗にマニキュアを塗られた指を
橘の頬に添わせると……。
挑戦的な視線を彼に一つ送ると、
一瞬まつげを伏せ、彼の唇にキスをした。

橘はその女の行動に
瞬きひとつせず、無表情を貫いた。

(橘……さん?)
ありすはその光景に理由がわからないのに、
どうしようもなくショックを受け、
思わず一歩後ずさりをしてしまう。
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