日常に、ほんの少しの恋を添えて
 さっきの、さっき専務が言ってたのこれだったんだ! 専務逃げろって言ってたけど意外と逃げるって難しい。
 どうしよう! こういう時の対処法、あんまり考えてなかった!

「もしよかったらこの後飲みにいくかい?」
「え……の、飲みにですか……?」

 どうしよう、ここで断ったらなにか問題になったりとかしないだろうか。
 私の頭で予測できる、いろいろな事態が交錯する。
 だけど、やっぱり私ダメなものはダメとしか言えないよ。
 ニコニコしながら私の返事を待っている常務に、私は意を決し向き直る。

「い……」

 私が嫌です! と言おうとしたその時、人の気配がし低いトーンの声が座敷に響いた。

「おまたせしました岩谷さん。申し訳ありませんがそろそろお開きにしましょうか」

 トイレから戻って来た専務が、私の隣に戻って来た。そして常務から少し距離を取るように、私の肩をグイ、と自分の方に寄せた。
  こんな、まさに天の助けとでも言うようなタイミングで聞こえた声に、私は藁にもすがるような気持で専務を見る。

「(ごめん)」

 私の顔を見た瞬間、専務の口がこう動いたのを、私ははっきりと確認した。
 いいところ? で現れた専務に対して、岩谷常務はあからさまに不機嫌そうな表情になる。

「なんだい、湊君。ちょうど今長谷川さんと仲良くさせてもらってたのに」
「それは申し訳ありません。ですが岩谷さん、秘書の方がこの店の前で岩谷さんのご家族と電話でお話されてましたよ。なんでも岩谷さんの携帯が繋がらないとかで……」
「えっ」

 すると急に真顔になった岩谷専務は、胸ポケットから携帯を取り出すと画面を見て青ざめた。

「しまった、電源落ちてるわ! まずい、俺行かなきゃ」
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