不埒なドクターの誘惑カルテ
 繁華街でまだまだ人通りもある。四月に異動してきてこれよりも遅い時間に帰宅したことだって一度や二度じゃない。

「おいっ」

 次は呼び止められても足を止めず、自動ドアをくぐる。外に出てチラッと中のふたりを見ると、女性は何か真剣に先生に訴えているようだった。

 もしかして、私との仲を誤解してる? 

 だったら、次に会ったときにはきちんと誤解をとかないと。

 そんなことを考えながら、金曜日の夜でたくさんの人でにぎわう街をひとり駅に向かって歩いた。





 社会人になると一日があっという間に過ぎていく。それも、ここ本社に配属されてからは、そのスピードが前よりも早くなった気がする。

 気がつけば夜・・・・・・なんて日々が続いていた、そんな六月の半ば。私は総務部長に呼ばれた。

「坂下くーん。ちょっといい?」

「あ、はい」

 顔をあげて返事をして、入力中のデータを急いで保存した。

 何か、失敗してしまったのだろうか……。部長から声をかけられることがあっても、こんなふうに席に呼ばれることなど、この二ヶ月ちょっとの間なかった。不安にかられながら、私は部長の席まで急いだ。
 
しかし私の心配は杞憂に終わった。部長の顔をみただけで、良い話だということがわかる。

 一枚の紙を差し出されて、私はそれを受け取り確認する。それは職場環境改善の取り組みに関する書類だ。

「いあ〜、いい傾向にあるよ。ホントよく頑張ってくれているね」

 残業時間の減少、職場環境の改善の結果のアンケート、職場巡回の回数などがすべて前年度に比べて、たしかに数値が軒並みよくなっている。

 しかし私は日々の仕事に追われて、特別なことをした覚えはないのだけれど……。

「いや〜束崎先生からの報告も、以前は総務の担当者を通してもらってたんだけどね、それだと君たちの仕事が増えるからって先生が言うから、こっちに直接してもらうようにしたんだよ。おかげで私も、判子を押すだけだった資料をきちんと読み込むようになったし、いいことづくめだよ」

「あの、いえ私は何も……」

 すぐに数字が好転した理由がわかった。それは私の努力ではなく、束崎先生の手腕によるものだ。

「謙遜しなくていいよ。これからも束崎先生と一緒に頑張って。ほら、もう行っていいよ」

「あ、はい」
< 13 / 58 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop