不埒なドクターの誘惑カルテ
「あぁ。これで三ヶ月連続だな」

「本当ですかっ?」

 労務担当なのに、まったくここまで手がまわっていなかった。

 今回たまたま、というわけではないようだ。

「だから言っただろ。〝面倒〟だって。ここは結構大変なんだ」

 確かにほかの部署は色々と改善されてきているが、この工場だけはまったく職場環境の改善報告が上がって来ていなかったのだ。

「まぁ、今ここで俺たちが話あったところで、どうにもならないからな。ほら、次工場に行くぞ」

「はい」

 事務所を出て、大きな扉の先にある工場へ出向く。しかしそこから先は作業着が必要になる。来客用の作業着にお互い着替えて、粘着ローラーやエアシャワーなどで埃を落とした。

 工場への扉をあけ、ビニールカーテンの中に入ると熱気が押し寄せてくる。色々な機械の音があちこちから聞こえてきた。普通に話をしたのでは聞き取りにくく、私は束崎先生に顔を寄せ、話しかける。

「工場内は清潔に保たれていますね」

「あぁ。そこはさすがにきちんとしている」

 実は工場に入ったのは、二年目の社内研修以降はじめてのことだった。しかもそのときは見学にすぎなかったので、実質はじめてのようなものだ。

 勢いで部長に申し出て、束崎先生の工場巡回にご一緒することにしたのだけれど、勉強不足で役に立つのか不安になってきた。

「ほら、ぼーっとしないで。行くよ」

「はい」

 先生の後に続き、私は工場内のチェックポイントを回り始めた。

 そして今回も束崎先生の人間スキルに、感心した。工場長の態度はあんなだったけれど、各製造ラインの担当者たちはみな彼に好意的だ。

 こちらの聞き取りにも素直に応じてくれているし、こちらの提案に対しても柔軟に対応してくれる。

 たくさんいるパートのおばちゃんにも声をかけ、工場の様子を聞いた。おしゃべりなおばちゃんが率先して日頃の愚痴を、話してくれる。

 お礼を言って工場の外に出た。

「おばちゃん、マシンガンみたいでしたね」

 勢いに圧倒された私は、大きく息を吸い込んだ。

「あぁ、だけどただの愚痴だと思っちゃいけない。そこに重大な事故につながる情報が含まれてい場合があるからね」

「はい」

 そこに改善の余地があり、それをすることで会社も特段不利益にならず、社員が気持ち良く働けるならば、要望をできるかぎり聞くべきだ。
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