不埒なドクターの誘惑カルテ
「俺達は、会社と社員の橋渡しの役割をしているんだ。茉優もこの仕事をしているんだから、この気持ちを忘れないでほしい」

 先月までの先生はどこに行ってしまったのだろう……そう思えるほどに、仕事に真摯に取り組んでいる。いや、今までもずっとそうしてきたのだ。それは報告書にあがってくる数値でわかる。自分が色眼鏡で、先生を判断していただけのことだ。

「ちゃんと、心に留めておきます」

 日々忙しさにかまけて、仕事の意義など考えるひまもなかった。しかしそれがどれほど大切なものなのか、やっとわかった気がする。

「さぁ、最後にラスボス倒しに行くぞ」

「はいっ」

 元気よく返事をした私は、先生と一緒に工場長に今日の点検の結果報告と改善の要求に向かった。



「はぁ……お疲れ様でした」

 私は先生の運転するプジョーの助手席に座り、肩の力を抜いた。

 電車で帰るという私に、先生は「帰る方向が一緒なんだからのりなさい」と言い、私はそれに甘えることにしたのだ。

「あぁ。お疲れ」

 運転していた先生は、そんな私を見て笑うと頭をポンっと撫でるように叩いた。

 結局——あの後の私達は散々だった。工場長はなかなか聞く耳をもってくれず、話しを聞いてくれたかと思えば、一方的に否定を繰り返された。

 結局話し合いは平行線で、次回に持ち越すことになった。

「ここまでとは……上に話をしてみましょうか?」

 ここまで頑なな態度をとられると、手出しのしようがない。しかし先生はそれに難色を示した。

「いや、もう少しできることがないか俺が探ってみる。ああいうタイプは上から言われて素直に従うとは思えない。余計にこじれるだけだ」

「そうでしょうか……」

 結局のところ、担当者である私の力不足なのだ。本来なら工場との折衷は社員である私の仕事だ。嘱託医である先生よりも社内のことについては知っておかなければいけないのに。

「どうして、お前がそんな顔するんだよ、そんな思いつめるようなことじゃない」

「はい」

「俺は、今日茉優が来てくれてうれしかった。労務とか職場環境って利益の前にはないがしろにされがちだ。だからこんなふうに、真剣に取り組んでくれるのは産業医としてとてもありがたいよ」

 まだ思う所はあるけれど、私のしたことが少しは役に立てたのならば、それだけでもよかったと思おう。

「さぁ、うまいもんでも食って帰るか」
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