不埒なドクターの誘惑カルテ
「はいっ、賛成です」

「急に元気になって、ゲンキンなやつだな」

 自分でもそう思う、結局今日の仕事は成功したとは言い難い。それでも継続していかなければならない。

 そして束崎先生のそばで一緒に働くことが楽しかった。新しい仕事の楽しさを発見できたことが、うれしかった。
 




 鬱陶しいほどのセミの鳴き声を聞きながら、私は社労士の先生のところへのおつかいを済ませて、街路樹の影を踏むようにBCビルに戻っていた。

 日傘もってくるんだったなぁ。

 駅前まで少しだからと、無防備なまま出てきてしまったが日差しの強さにうんざりしながら歩いていた。

 やっとのことで、ビルのエントランスまでたどり着いた。商業施設も入っているビルなので、サラリーマンやOL以外にも、色々な年齢の人が常に行き交っていた。

 ふと総合案内を見ると、そこに束崎先生の姿をみつけた。思わず近づこうとしたけれど、すぐに足を止めた。

 私よりも先に、彼に話しかけた女性がいたからだ。それはこのビルの総合受付に立つ女性で——束崎クリニックから先生と親しそうに話ながら出てきたあの女性だった。

 思わずじっと観察してしまう。すばらしく整ったお顔、綺麗に巻かれた髪。細くて長い指はネイルもほどこされていて、私でさえため息が出そうなほど美しい。着る人を選ぶであろう受付嬢の制服も彼女だと着せられている感じがしない。

 かたや私は、朝から忙しくて一度もメイク直しができていない。そのうえお遣い帰りで汗が滲んでいた。

 彼女と話す束崎先生の笑顔を見て、なんだか落ち込んだ。

 こんな恰好見られなくてよかった。

 なんとなく同じ女性として、引け目を感じてしまう。今までそんなふうに思ったことなんてなかったのに、どうしてしまったんだろう。

 私は止めていた足を動かして、先生の目を避けるようにエレベーターに乗った。


「ふーっ」

 あれからロッカーによって、汗をおさえて少し化粧も直した。それほど変わりばえしたかというと、はなはだ疑問だけれどこういうことは気持ちも大事だ。

 しかしその気持ちの切り替えもうまくできなかった私は、リフレッシュブースでお気に入りのレモンティーを買って、一息ついていた。

 体の熱もひいて、やっと気持ちが落ち着いた。しかしその静寂が山辺さんの声で破られた。

「坂下さんっ!」
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