不埒なドクターの誘惑カルテ
 リフレッシュブースに入ってくるやいなや、興奮した様子で私に話かけてきた。

「どうかしましたか?」

 慌てた様子の彼女に驚いて、私はベンチから立ち上がった。何かトラブルでもあったのだろうか?

「どうかした、なんて、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ。あの噂って本当なんですか?」

「うわさ? 何、仕事の話じゃないの?」

 私はひとまずトラブルでないことに、安心した。そのうえで彼女の話を聞く。きっといつもみたいにマシンガンのように噂話をするだけしたら、きっとすっきりして仕事に戻っていくに違いない。

 私はもう一度ベンチに座って、レモンティーを口にした。

「隠さずに教えてください。束崎先生って、あの総合受付の女と付き合ってるらしいんです」

「えっ……ごほっごほっ」

 タイムリーな話題に、レモンティーが気管に入ってしまい、むせてしまう。

「あー、そんなに動揺するってことは、やっぱり坂下さんもこっそり束崎先生のこと狙っていたんですか?」

「えっ? 何言うのよ。私は別に……」

 指摘されて、なぜだか私は動揺してしまう。

「隠しても無駄ですよ。私、その辺の勘は鋭いんですから。でも、お互い残念でしたね。あ〜あ、次のターゲット見つけなきゃ。イケメンでお金持ちってなかなかいないんですよね……」

 私に言いたいことを言ったおかげか、山辺さんはすっきりした様子でリフレッシュブースを出て行った。

 かたや残された私は、やっと立て直したはずの気持ちが、なぜだかさっきよりもザワザワしていた。

 別に束崎先生が誰とつき合おうが関係ないじゃない……。

 そう思うけれど、クリニックの前や、さきほど受付で楽しそうに話をしているふたりの姿が頭に浮かぶと、ざわつきが大きくなる。

 ……もう、何だろう。

 気分転換のために訪れたリフレッシュブースだったのに、ますます気分がどんよりしてしまった。

 しかしいつまでも、ここにいるわけにはいかない。

 私は一気に残りのレモンティーを煽るようにして飲んだ。そしてゴミ箱に空き缶を捨てた。

 心の中のモヤモヤも、一緒に捨てることができればいいのに。



 
 その週の金曜日、私は労務改善案の報告に束崎先生と総務部長の元を訪れていた。部長の席の近くにあるオープン打ち合わせスペースに三人で座る。

「先だって、お送りしている資料なんですが、ご覧いただけましたか?」
< 19 / 58 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop