不埒なドクターの誘惑カルテ
 先生がこちらに向けた、スマートフォンは画面が粉々になってしまっていた。ボタンを押してみると明るくはなるが、内容を判別できない。

「あ〜あ。ひどい。結構気に入ってんたんですけどね」

 悔やんでも仕方がない。それにこのスマートフォンのおかげで犯人を捕まえることができたのだから、よかったと思おう。

 私が先生の手にある、スマートフォンに手を伸ばす。けれどそれをサッと先生が自分の頭上まで持ち上げてしまった。先生とは十五センチ近くの慎重さがある。そんなことされたら、手が届かない。

「ちょ、ちょっと。返してください。明日には機種変更しに行かないといけないんですから。いったい何のイジワルなんですかっ?」

 いきなりの仕打ちに思わず噛み付いてしまう。

 さっきまで彼の手で慰められていたと思ったのは、勘違いだったのかもしれない。

「これが壊れたの、俺のせいだよな。だからこれは俺が弁償する」

「弁償って……いいです。これを投げたのはそもそも私の勝手な判断だったんですから」

 私は顔の前でぶんぶんと手を振って、断った。しかし先生は納得できないようだ。

「もともと、巻き込む積もりがなった。それなのに今日はこんな時間まで結果的につきあわせることになったし、これでスマホまでこわれたままじゃ俺が嫌なんだ」

 先生はチラッと道路を見ると、近くまできていた無人のタクシーを止めた。そしてまだ戸惑っている私をまたもや強引に押しこんだ。

「明日、午後五時。空いてる?」

「空いてますけど、でも」

「〝でも〟は、いらない。じゃあ、五時にここで待ち合わせでデートしよう。連絡とれないんだから、必ず来いよ。出してください」

「えっ?」

 私が返事をする前に、タクシーのドアがバタンと閉じられた。外に視線を向けたままの私に、運転手が「行き先は?」と尋ねる。

 このままタクシーを止めておくわけにはいかず、私はマンションの住所を告げた。

 そして外で手をふる束崎先生に見送られながら、家路についたのだ。

 自宅に戻ったのはすでに午前一時半がすぎていた。ただいつもなら疲れてすぐに眠りにつきたいと思うはずなのに、別れ際に束崎先生とした約束が強烈すぎてまったく眠くならず、いつも通りお気に入りの入浴剤を入れてバスタブに入った。

 けれどリラックスできるはずの時間なのに、やはり明日のことが気になって気が休まるどころではなかった。
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