不埒なドクターの誘惑カルテ
 頭の中で冷静になれるように、自分に話かけてみるけれど、待ち合わせと言われた会社に近づくほどに、私はどんどん緊張していった。

 とにかく早めに到着して、気持ちを落ち着かないと。

 そんな気持ちで私がビルの前に到着したのは、待ち合わせの十分前。驚いたことに、そこにはすでに束崎先生の姿があった。

「うそ……」

 驚いて思わず足を止めてしまった。そんな私にすぐに気がついた先生は、手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。

「早かったな」

「いえ……あの、お待たせしてすみませんでした」

「あぁ。別に気にしなくていい。楽しみで待ちきれなかっただけだから」

「えっ?」

 驚いた私の顔を見て、先生はクスッと笑った。それを見てからかわれていることがわかった。

「もう、冗談言ってないで、行きましょう」

 私が歩き出すと、先生が私の手をつかんだ。昨日の感覚がよみがえって来て思わず体がドキッとする。

「店、こっち」

 反対方向を指さす先生は、おかしそうにクスクスと笑っている。私は恥ずかしさに耐えきれなくなって、スタスタと先生の指さしたほうに、歩き始めた。

 そんな私の隣を、先生はクスクスと笑いながら歩いている。そんな彼を横目で見ると、私の顔を覗きこんできた。その表情がすごくいたずらっ子みたいで、なんだかおかしくなって、ついつい私も笑ってしまう。

 結局ふたり、笑いながらお店までの道を歩いた。
 


「ありがとうございました〜」

 ショップの店員さんに深々と頭を下げられて、私は先生と店を後にした。

「よかったのか、同じ機種で」

「はい。それよりも、本当に全部払ってもらってすみませんでした」

 先生は昨日の言葉通り、私に一円も払わせてくれなかった。それどころか、もっと上位機種のものを進めてきたので、私はそれだけは……と固辞して、結局以前のものと同じものを選んだ。

「機種が代わると、使い方がわからなくなっちゃうから」

「なに、年寄りみたいなこと言ってるんだよ」

 またもや、声をあげて笑う先生につられて、私も思わず笑ってしまう。先生とこうやって笑い合う時間は、すごく楽しい。けれど、もう今日の用事は終わってしまった。楽しい時間もおしまいだ。

 BCビルの前まで戻ってくると、私は足を止めて先生にお礼を言った。

「今日は、ありがとうございました」

「え? まさかもう帰るつもり?」

「へ?」
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