不埒なドクターの誘惑カルテ
 それを思い出し、足を止める。そんな私に引っ張られた先生が「どうした?」と言ってこちらを見ている。

「あの、このバーってかなり高級だって聞きました。あの、私は今日はこんな服ですし、それにこういう場は慣れてなくて——」

「大丈夫、大丈夫。さっきも言ったけど、今日の服も可愛いし。俺もこんな感じだしさ」

 先生は、何を着ていても身のこなしから育ちの良さが感じられる。きっとそういう場にいってもすんなりと馴染むに違いない。

 でも根っからの庶民の私は——。

「別にドレスコードがあるわけじゃないし、会わせたい奴がいるんだ」

「会わせたいって……いったい」

 それまで頑なに拒否していたのに、その一言で好奇心が刺激される。

「いいから、いいから」

 私は結局、好奇心と先生の強引さに負けてバーの扉をくぐった。

 すぐに「いらっしゃいませ」と男性の落ち着いた声が店内に響いた。灯りが落とされた室内は、カウンターと夜景が見下ろせるテーブル席や、ゆったりとくつろげそうなソファ席。それに奥には扉がいつくかあるので、もしかしたら個室もあるのかもしれない。

 どの席も間隔が広く、プライバシーを楽しみながらバーの洗練された雰囲気も楽しめそうだ。

 興味深々であたりを見回していて、先に歩き出した先生に置いていかれそうになる。慌てて追いかけると、先生はカウンターの中にいるバーテンダーに手を挙げて「よぉ」と軽い挨拶を交わしていた。

「茉優、こっちきて」

 呼ばれるままに、先生の隣に立つ。するとセルフレームの眼鏡をかけた色気の塊のような男性が、こちらに笑顔を向ける。

「こいつ、俺の中学時代からの悪友。及川(おいかわ)。で、こっちがミカドフーズの坂下茉優さん」

「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

 店内は薄暗いのに、彼の笑顔だけやたらまぶしく感じる。

 類は友を呼ぶというのは、こういうことを言うのか。

 私はなぜだかとても緊張して「はい」とだけ答えると、先生が座ったスツールの隣に腰掛けた。

「では、茉優さん。ウチで飲む初めてのお酒を私からプレゼントさせてください」

 及川さんが、私の前にたちにっこりとほほ笑んだ。営業スマイルだとわかっていても、思わず見とれてしまいそうだ。

「おいっ! お客を速攻口説こうとするなよな。茉優、騙されるなよ。世の中ただより高いものはない」
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